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トムシン醸造所の隣に住んでいた牛乳屋のピエール・セリスは以前よりビール醸造に興味を持っていました。
牛乳屋でしたが、かなりの専門知識も持っていました。
彼は牛の仲買人をしている父親から借金し、廃業した醸造所から設備一式を買ってきて1965年にホワイトビール造りに着手しました。
彼は1400年代にこの村でビール造りをはじめた修道院に敬意を表して、自分の醸造所の名前を「デ・クライス(僧院・修道院)と名づけました。
当初、年配のビールファンが懐かしがって支持してくれると考えていましたが、実際には若者に受けたのです。
ボトルの底の滓を見て、ナチュラルなビールだと思ったのがその理由でした。
口コミでホワイトビールの噂は一気に広まり、デ・クライス醸造所は急速に大きくなりました。
ところが1985年
デ・クライス醸造所は火事で一部が焼失してしまいました。
セリス氏一人の財力では再興することができないほどになってしまったため、インターブリュー社(現アンハイザー・
ブッシュ・インベヴ)の傘下に入ることとなったのです。
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