■ボーレンス醸造所のある町
ボーレンス醸造所のある村ベルセーラはアントワープの南西に広がる農業地帯ワース(Waas)地方にあり、最寄の都市はシントニクラース(Sint-Niklaas)。
スヘルデ(Schelde)川とリュプル(Rupel)川が流れ、水と自然の豊かな地方で、サイクリングやハイキングのコースが多くベルギーでも屈指のアゼリア(西洋ツツジ)やベゴニアの産地となっています。
(ベルギーは世界有数のアゼリアやベゴニアの輸出国です)
シント・ニクラースはブリュッセルの北70km、アントワープからは南西へ25kmの人口7万人の近代的な中堅都市で、アントワープのベッドタウンとなっています。
市の中心広場がベルギーでもっとも大きいことでも知られています。
■ボーレンス醸造所の歴史
ボーレンス一族はベルセーラの村で1800年代中盤頃からすでに醸造を行なっていました。
もともとボーレンス家はシントニクラースの隣村ロクレン(Lokeren)の出身で、穀物商、製麦所、およびビール醸造業を営んでいました。
10キロほど離れたベルセーラには、ドゥ・メーステル(De
Meester)という別の一族がビール醸造所を営んでいました。
1850年、現在の所在地Kerkstraat(教会通り)に、前述の2軒の醸造所が合併する形でBrouwerij
De Meester-Boelens(ドゥ・メーステル・ボーレンス醸造所)ができましたが、1897年に創業者が亡くなり、継承者として奥さん側(ボーレンス家)の甥アンリ・ボーレンス(Henri
Boelens)が呼び寄せられました。
このアンリが現在のオーナー、クリスの祖父であり、従ってクリスは4代目になります。
アンリは、ドゥ・メーステル家側の姪マリアと結婚し、醸造所名はBoelens-De Meesterとなりました。
1915年、第一次世界大戦がはじまると、ドイツ軍が侵攻し、醸造所設備は没収され、醸造業は停止に追い込まれましたが、瓶詰め設備だけはアンリの元に残りました。
戦後、大手醸造所からビールを購入して、これをBoelens-De
Meesterの名前で瓶詰めし、地元のパブや個人宅に広く配下・販売するビール業者となりました。
この時のビールは、アルコール度2%程度のテーブルビールでした。
第二次世界大戦がはじまると、アンリが亡くなり、その長男ユベール・ボーレンス(Hubert
Boelens)が醸造所を継承しました。
ユベールは醸造所を営むルコック(Lecocq)家のマリアと結婚し、1948年〜1958年までベルセーラ村会議員を務めるなど、地元で知られる名士となりました。
第二次世界大戦以降、中小醸造所の淘汰が進み、ピルスナービールが主流となり、それを配下する専門の飲料卸業が発展しましたが、こうしてボーレンスも地元の有力な卸業者となって行きました。
現在のオーナー、クリスは1980年に父親からこの飲料卸業を継ぎました。
1970年代〜80年代にかけてベルギーでは古きよき時代のスペシャルビールへの回帰が盛んとなり、クリスも1985年頃から、なんとかして醸造業を再開したいと考えるようになりました。
一部の機器をステンレス製にするなど、EUやベルギーの新たな食品製造基準に見合う設備投資を行い、またベルギーの多くの大学、醸造関係者などから多くの知見を得て、1915年以来停止していた醸造を1993年再開するに至りました。
こうして、1993年8月、ビーケンが初めて仕込まれました。
このビールは、ボーレンス醸造所の伝統のレシピに沿った蜂蜜入りのビールで、ほんの少ししか醸造しないため、本物の「手作り伝統ビール」として世界中から好評を得ています。