■ハーヒト醸造所の歴史
ハーヒト醸造所は現存しているベルギービール醸造所の中では規模的に第三番目ですが、ルーバン市とメッヘレン市との間にあるフラマン・ブラバント州にある家族経営による醸造所です。
ハーヒト村とその周辺では少なくとも400年にわたってビールの醸造が行われてきました。
16世紀末の記録によると「パラデースヴォーゲル(Bird
of Paradise)」という地ビールハウスがあり、通行人にビールを提供販売していたそうです。
この村がデール川に近い要衝の地にあったためとても通行人が多かったのです。
1898年6月14日にデ・ローという醗酵技師が、自分の働いていた乳製品会社で自家製の最初のビールを造りました。
その後、この工場の名前が「ハーヒト乳製品会社」から「ハーヒト醸造所兼乳製品会社」に変わり、数年後の1929年には乳製品の製造を完全に止めてしまいました。
第一次世界大戦の影響により、この地域のすべての醸造所は深刻な影響を受けるか、または完全に破壊されてしまうものさえありましたが、ハーヒト醸造所だけがこの地域で唯一戦争末期まで残りました。
1924年には、首都ブリュッセルとハーヒトの間を走っていた蒸気鉄道が電気化されました。
この「ビール鉄道」のおかげでより簡単にビール樽がブリュッセルに運ばれ、そこから荷車に積まれてブリュッセル全域のビール卸商やカフェに届けられました。
ハーヒト醸造所はその後ブリュッセルやベルギー全国に渡って次第に多くの地ビール醸造所を買収し、ベルギー市場でその影響力を拡大していきました。
第二次世界大戦後、デ・ロー氏の義理の息子であるヴァン・デル・ケーレン氏が醸造所の経営を引継ぎ、更に生産規模を大きくしました。
また、樽に加えて瓶詰めビールの販売も開始しました。
その後、最も良く知られたラガービールである「Primus」(プリマス)の販売を1975年に開始。
最近では生産活動の多様化を図っており、1985年よりペプシコーラのベルギーにおけるボトリングと卸販売活動、また1995年にはフランスで2ヶ所のワイナリーを、2002年にはオランダで1ヶ所の醸造所を取得しています。
現在、ハーヒト醸造所は年間で約10万kl.の生産があり、ベルギー全土で約6,000軒の自社パブを展開しています。第四世代となるヴァン・デル・ケーレン家族が今もこの醸造所を経営しています。
■ハーヒト醸造所のビール
ケイゼル・カーレル ブロンド、ケイゼル・カーレル ルビーレッドについて
1500年2月24日に現在のベルギーにあるゲント市で生まれた皇帝カール5世は、16歳でスペイン王を宣言し、3年後の19歳の時には神聖ローマ帝国及びゲルマン王国の皇帝となりました。
彼が1555年に退位した時には、その帝国は日が沈まないと言われたほどに広大なものになりました。
この若き王は敬虔かつ精力的な人物で、騎馬の上手な乗り手と自他共に認められ 狩や馬上試合を楽しんでいました。
また皇帝は大のビールファンで、ワインよりもビールを好んだと言われています。
旅をする時はうまい地ビールがあるからと躊躇なくベルギーを通っていったそうで、醸造所を見つけると必ず立ち止まりました。
スペインに滞在している時はベルギーから定期的にビールの大樽をいくつも船で運ばせたそうです。
この大帝国を記念して造られたのがケイゼル・カーレルの2つのビールです。