今日も5時半に目が覚める。
7時半スタート。快晴でとても暖かい。
8時半、ブルージュ着。車中で醸造所とのミーティングの事前打ち合わせ。

9時から社長のザヴィエル氏とミーティング。

6月にベルギー王国のフィリップ皇太子とともにザヴィエル氏も来日するので、その打ち合わせなど。
今回もたくさんの宿題を持ち帰ることになり、また大変だ。

ミーティング終了後、ゲントにあるビール関連器具の会社、Antoine Belgiumに立ち寄る。
ここで継ぎ手のサンプルやカタログなどをいただく。

もうお昼を回っていたので、Oさんと一緒にギリシャ料理店でランチ。
その後、国境を超えてフランスに向かう。

目的地は、2011年6月16日よりビールの販売を開始したフランスのトラピスト修道院、モン・デ・キャッツ修道院。
ベルギーとの国境近くに位置しており、ホップで知られるポプリンゲの町から車で20分程度の場所にある。
写真はモン・デ・キャッツ修道院からの景色。


修道院外観


1650年に小修道院としてスタート。
1840年にモン・デ・キャッツ修道院として設立された。
1847年~1907年まではビール醸造も行っていた。


1918年には爆撃を受け、醸造所も破壊。
1848年からチーズの製造を開始し、現在も行っている。
こちらはトラピストチーズとしてすでに知られている。
(2012.6~ トラピストチーズとしてATPラベル認証を受けている)


修道院内の部屋に通していただいた。

ビール担当の修道士の方とミーティング。
ビールを発売した経緯を伺ってみた。

現在チーズを作っているが衛生管理や維持にお金がかかって大変なので他の収入源を探していた。
ビールを造ろうと考えたが、醸造所はすでに無い。
30名の修道士がいるが、皆高齢でこれから醸造を始めるのは大変。

そこでどこかに委託できないか考え、まずはITAに相談。
それからビールを醸造しているすべてのトラピストビール修道院に相談した。
トラピストには助け合いの規律があり、それはビールでも同じこと。

醸造はスクールモン修道院(シメイ)が引き受けてくれることになった。
したがってATPラベル認証は受けていない。


お土産販売所。


モン・デ・キャッツのビールとトラピストチーズ。


オーベルジュ。

ブリュッセルに戻って、Oさん、奥さんとイタリア料理店でディナー。


こちらがホテルでティステイングした、モン・デ・キャッツのビール。
アンバータイプ1種類のみ。アルコール度数 7.6%。
330ml、750ml、専用グラス有り。
シメイと相談して、他には無い独自のレシピを考案したとのこと。

赤みがかったアンバー。
シメイと似たエステル香。
青りんご、オレンジ、キャラメル、ブラックチェリー、はちみつの香り。
アタックはそれほど強くない。
甘味と酸味のバランスよく、中程度のボディ。
苦味が長く続いた後、ややエグ味。
今後に期待したい。

朝5時半に目が覚める。
外は快晴でかなり暖かい。
11時頃まで部屋で仕事をした後、11時半にチェックアウト。
空港の中のホテルなのでとても便利。

ルフトハンザ航空の自動チェックイン機でチェックイン。
日本語もあり、とても便利。
13時、フライト、14時、ブリュッセル着。

ベンチに座っていると近くにいた女性が声をかけてきた。
この人が新たにアシスタントとして一緒に仕事をする、カナダ人のAさん。
一緒にホテルまで行き、ここでOさんと翌日からの打ち合わせ。

チェックイン後、片付けを済ませてメトロで中心部へ。

買い物や夕食を済ませて20時頃にはホテルに戻る。
ここから電話で打ち合わせなど。

今回は土曜日の東京での講座登壇から始まって、長めの旅となる。
日曜日は成田のホテルに宿泊し、月曜日の朝早くシャトルバスに乗って空港へ。

チェックインすると、なんとエコノミーが満席のため、プレミアム・エコノミーにアップグレードとのこと。
12時40分、フライト。
やはりエコノミーよりもかなり快適。
少しだけ週末の疲れを癒やすことができた。

朝8時スタート。
今日は帰国日だが、2軒のアポイントを入れてしまった。


最終日の1軒目は、ショコラトリー。


De Ryck醸造所とのコラボでチョコレートを製造している、Verhavert-Coolsへ。


チョコレートの製造工程やビールチョコレートの作り方などを教えてもらう。


その後、今回の滞在中にルーヴェン在住のお客様から教えていただいた、ホフ・テン・ドルマール醸造所へ。
急遽連絡を取って訪問できることに。


醸造所は、ルーヴェンの北西に位置するティルドンクという町にある。
牧草地が広がり、馬なども放牧されているのどかな場所。


ホフ・テン・ドルマール醸造所はもともと農家で、2009年に現在の社長であるアンドレ・ヤンセン氏が醸造を開始。
ヤンセン氏の息子が農業の大学を卒業したのをきっかけに、自分たちで作っているものだけを使ってビールを造ろうと決心し、アメリカに渡って醸造を学んだ。


醸造所のある場所には、12世紀ごろ、ヤン・ヴァン・ドルマールという人物が住んでおり、「Hof ten Dormaal(ドルマールの農家)」と呼ばれていたことから、そのまま醸造所の名前になった。


デュポン醸造所やブロウジ醸造所などのセゾン・ビールの醸造所、かつての醸造農家をとても意識しており、味わいはもとより、ボトルも375ml瓶にコルクを使って瓶詰めしている。
特にアメリカで人気があり、生産量の75%がアメリカ向けに輸出されているとのこと。


ブロンドのティスティング。


Witloofとは、オランダ語でチコリのこと。
以前は季節限定だったが、現在では通年で生産している。
ラベルの絵はアンドレさんの母親が描いている。


かつてはこのあたりではどの家でもチコリを育てていた。
煮沸の最後30分にチコリの根を投入する。
ホップと半々で。ドライな味わいになる。


仕込み釜、煮沸釜。


発酵タンク。


アンドレさんと倉庫。


現在でも本業は農家であり、65ヘクタールの畑を所有し、麦やとうもろこしを作り、牛65頭も所有している。
またビールの原料となる大麦やホップもすべて自分たちの畑で作っているという。


アンドレさんと。

とてもおもしろい醸造所だった。
おそらくこのまま輸入することになりそう。

この後、Oさんのオフィスに寄って、そのまま空港へ。


リーフマンス醸造所を訪れるのは、2001年以来10年ぶり。
当時はまだリヴァグループの一員で、デスプレンテル社長夫妻とご一緒した。

2007年からデュベル・モルトガット社の傘下にある。
現在はかつての4倍の規模、200万リットル/年を製造している。
かつてリヴァでやっていた仕込みは現在デュベルで行っている。


かつての醸造設備。


かつての煮沸釜。


麦汁がここで1泊していた。


麦芽粉砕機。


1991年当時のカスがそのまま置いてある。


以前使用していた、クールシップ。
1時間で90℃から60℃に下げるのが目標。
天井は蒸気を通すため、木で作られている。


以前使用していた、Baudelot(ボードロー)システム。冷却器。


沈殿がある部分は布でフィルターをかける。
あとで外して洗って乾かす。


発酵槽。
今でもオープンタンク。4000リットル。
窓を開けて、23℃で1週間発酵が行われる。
中に通っているパイプに水が通っており、温度管理できる。


途中、3~4回木の棒で酵母の上澄みを取る。
140リットル分とって0℃で保管、次回のバッチに使用する。


この酵母は1930年代から使用されている。
70リットルのバケツで2杯分。


熟成タンク。
常温で熟成させ、0℃に冷却後、0℃で保管。


ブレンド機。
4~6種類のブレンドは舌だけに頼って行われる。


冷却器。
85℃で殺菌後、再び0℃に冷却。
大きな貯蔵タンクへ。


貯蔵タンク。
さらに0℃で貯蔵される。


15klのトラック。
ボトルはパルム、コルクものはkonings、ケグはローデンバッハへ運ばれる。


チェリービールの貯蔵室。


貯蔵タンク。
70000リットル×18器ある。
62000リットルに8000kgのチェリーを漬け込む。
約2年間熟成させる。もっとかかることも。
ティスティング後、0℃のタンクへ、そしてブレンド。


中はこのようになっている。


チェリーをブレンドする機械。


貯蔵庫。
もともと鉄の輪(iron band)という名前だったが、コンテストで受賞し、グーデンバンドになった。


ここには11万本以上のビールが貯蔵されている。
1986年のグーデンバンドもあった。


醸造所のすぐ横を流れるスヘルデ川。
フランス北部、ベルギー西部およびオランダ南西部を流れ北海に流入する川。延長350km。


お楽しみのティスティング。


ガイドのネッツさんと。


サイト・マネージャーのクーセンスさん。


リーフマンス人気の礎を作ったといわれている、マダム・ローザの家。
会いに行ったが残念ながらお買い物に出られていてお留守。

18時過ぎにホテルに戻って、19時30分にグランプラス。
パートナーのOさん、片山さんと合流。


イロ・サクレ地区にある有名店、スケルトマ(Scheltema)で夕食。


ムール貝。


食後は水たばこ(シーシャ)の店、PALMYRAへ。


水たばこ(シーシャ)を初体験。
いろいろなフレーバーがあって楽しい。
片山さんのおかげでいろいろな体験ができる。

8時半に出発して、10時過ぎにブルージュ。
約束の時間まで時間があったので、少し町の中を散歩。


ベギン会修道院。


1245年にフランドル伯夫人によって建てられた、世界遺産にもなっているベギン会修道院。
ここは未亡人となった人や政略結婚から逃れる人が逃げ込む女性だけのコミュニティ。
かつては各地にあったが現在でも続いているのは(実際に女性たちが生活している)ここブルージュくらいだという。


愛の湖公園。


すぐ近くにあるのがドゥ・ハルヴ・マーン醸造所。

11時前に社長のザヴィエル氏と会ってそのまま醸造所内のレストランでミーティング。
日本のベルギービールウィークエンドや、ワンウェイケグについてなど。
ミーティングは1時間ほどで終了。


醸造所内の中庭。
ビールを楽しむ人たちで賑わっている。


ちょうどお昼時なので、サンドウイッチを買いましょう。


その場で手際よく作ってくれる。

馬車。


聖母教会。


ここには、ドゥシェス・デ・ブルゴーニュにラベルで知られる、マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgougne, 1457年2月13日 – 1482年3月27日)が、父親のシャルル突進公の棺と並んで埋葬されている。
後に夫のマクシミリアンが死去した折、その心臓もマリーの墓に共に埋葬された。


聖母教会横の広場でサンドウィッチを食べる。
お天気もよくぽかぽか陽気。

13時過ぎにブルージュを出発。

今日はヴァンデンボッシュ醸造所など4軒の醸造所を訪問。
朝8時にホテルを出発。

ヴァン・デン・ボッシュ醸造所。


1907年から作られている同社の銘柄「ブファロ(バッファロー)」の名前の由来となった、ヴァン・デン・ボッシュ醸造所前の広場。

かつてビールの仕込には石炭が使われていた。
ちょうど醸造所のある町にバッファロー・ビルのサーカス団が来ていたため、若いスタッフはそれを観にいきたくて仕方がなかった。
彼はとうとう我慢できなくなり、たくさんの石炭を釜に放り込んでサーカスを見に行ってしまった。
サーカスに夢中になっていたので醸造所に戻ることをすっかり忘れていたが、思い出して慌てて戻ってみると釜の底は焦げてしまいカラメル状になっていた。

しかしそのビールを皆で試飲してみたところとても美味しかったので、そのときのサーカス団にちなんで”Buffalo”と名づけられ、醸造所の主力の銘柄になった。


瓶詰めラインに行くと、欧和の今井さんが作業中。
欧和はこの醸造所の設備を借りて造られている。


社長のブルーノ氏とミーティング。
KeyKegやバレルエイジの製品についてなど。


2軒目はデ・ライク醸造所にてミーテイング。
社長のアンさんと娘のミークさんと。

ティスティングしているのは、新製品のスティーンウルク。
ふくろうに因んだビールで、とてもスパイシー。


3軒目はコントレラス醸造所にてミーテイング。
社長のフレデリック氏、そして奥さんとは初対面。


少し前まで使っていたボードロー・システム(冷却機)はもう使わなくなったとのこと。


そして最後に訪問したのは、ボーレンス醸造所。
最近、醸造設備が新しくなったので見学させてもらった。
写真に写っていいるのは社長のクリス氏。

夜はパートナーのOさんのお宅で夕食をごちそうになった。

12時過ぎにパルム醸造所を出発。
時間が無いのでサンドウィッチを買って車の中で食べる。


14時頃、ローデンバッハ醸造所。
ここを訪問するのは10年ぶり2回目。


門をくぐってすぐ右側には、創業者アレキサンダー・ローデンバッハ(1786-1869)の像。


正門を入ると正面に見えるのが旧製麦所。
1830年代末に建てられた円錐形のタワーを持つ製麦所は、現在博物館となっており、醸造所の中心的存在。


ヴィジターホール。
事前に予約しておけば食事をすることもできる。


ローデンバッハ一族の系譜。


2002年に新設された新しい仕込室。


奥に見えるのは発酵タンク。


かつて使用していた発酵槽。


もっとも印象的で特徴的な熟成庫。
最大で60kl入、最小のものでも12kl入というとてつもなく大きなオーク製の木樽が備え付けられている。
一番広い熟成庫には5列に並んだ木樽が合計100個置かれ、列と列との間は狭い通路になっている。
これより小さな熟成庫も10室ある。
最も古いものは1836年から使用されており、全部で294の樽が設置されている。


樽職人の部屋。
たくさんの木樽を維持するには、大量の板、金輪、リードなどを扱う職人が必要で、彼らの多くは1900年代の初めから代々ローデンバッハで働いてきた人たち。
現在はベルギー中でこの2名のみ。


樽を転がせるようにレールのようなものが付いている。


サイト・マネージャーのRudi Ghequireさん。
この醸造所で29年間働いてる。
『ベルギービール大全』のローデンバッハのページを開いて記念撮影。

この日は2軒の醸造所訪問を終えて、19時頃ホテル帰着。

今日は8時過ぎにホテルを出発して、2軒の醸造所訪問。
まず1軒目はパルム醸造所。

門に掲げられた看板には、「KIYA-Japan」の文字が。
こういう気遣いが嬉しい。

醸造所の歴史など聞きながら醸造所見学。

パルム(Palm)醸造所はフラームス・ブラバンド州(Flemish Brabant)の北西にあるステーンフッフェル村(Steenhuffel)の中心地(デュベル醸造所から車で10分)に位置し、この場所で255年以上にわたって上面発酵ビールである「パルム」(Palm)を醸造している。
この村でのビール造りの最も古い記録は1597年に遡る。

1747年、当時「ドゥ・ホールン」(De Hoorn)と呼ばれていた、パルム醸造所が役所から正式に醸造所として認められた。
1975年になって醸造所の名前は、自社ビールで一番人気のあるパルムの醸造元であることをよりよく認識してもらうため、パルム醸造所と改名された。
1980年にブラバント馬のイメージが会社のロゴとして加えられた。

ハーブの部屋。さまざまなハーブが展示してある。

倉庫、瓶詰めライン。

パルム・エクスプレスに乗って別の場所へ。

パルム所有の中世のお城へ。
1970年代には使われなくなり、城主のヴァン・マルデイゲン氏が農家に貸していたものを1980年頃パルムが購入。

たくさんの馬具。

厩舎。
ブラバント馬は18世紀に開発された農耕馬。
力強いが、性格は優しく、よく言うことを聞く。
1800年、パリのコンテストで優勝してから人気が出て、アメリカにも20万頭の輸出実績がある。
車の時代になって衰退した。

プレートには、「ローデンバッハ」。
本当はパルムの泡の色と同じ、VOS(色の種類)という色にしたかったが、ベルギーにはもういなかったので、アメリカから輸入して掛け合わせた、とのこと。

見学終了後はお楽しみのティスティング。

前社長アルフレッド・ヴァン・ロイ氏と現社長ヤン・トイ氏。
アルフレッド氏は96歳で死去、甥のヤン氏に引き継いだ。

昨日飲みすぎたせいか、朝からお腹の調子が悪い。
午前中はホテルの部屋で仕事。

ヌーブ通りを通って徒歩でグランプラスへ。

とてもお天気がよく、のどが渇いたので、ル・ロワ・デスパーニュ(Le Roy d’Espagne)。

特等席でホワイトビール。

最初はビールだけのつもりだったが、お腹が空いてきたのでクロックムッシュも。

お店のトイレ。笑


TOP