2010.07.25
2日目:ウィーン
2006.07.12
番外編その3 ようこそ日本へ!
■再び神戸へ
10日に続いていよいよ今日はデバンニング(コンテナから貨物を取り出すこと)ということで、今度はまた通関業者さんに大変ご無理をお願いしてその様子を見せてもらうことになりました。
今回もJR住吉駅に午後1時集合。
まずは御影にある通関業者さんの会社へ向かいました。
ここで通関についての説明など、とても分かりやすく教えていただきました。
なんと通関業者さんのご厚意により、今回はコンテナヤードにコンテナを取りに行くトラクターの助手席の乗せていただく、という嬉しい計らいまでしていただきました。
時間になったのでまず車でコンテナヤードの入り口まで連れて行っていただき、そこでトラクターに乗り換えます。
場口で機械を操作します
トラクターでコンテナヤードの中へ。
目当てのコンテナの場所まで移動します。
コンテナを積む場所に移動
止まったかな、と思うとグラグラっとトラクターが揺れます。
コンテナがシャーシに積まれた瞬間
あっという間にシャーシ(台車)の上にコンテナが積まれていました。
慌てて窓から身を乗り出してシャッターをきります。
ここでチェックを受けます
積み終わった後、出口前にある検査場へ。
ここでは正しくコンテナが積まれているかどうかチェックします。
六甲アイランドを出ます
チェックはもちろん合格。
六甲アイランドを後にします。
10分ほどで御影の保税倉庫へ。
ハパックロイドのコンテナってカッコイイですね!
これがリーファーコンテナの証し。
ちゃんとエアコンがついていました。
バックで倉庫につけます。
倉庫スタッフの皆さんがコンテナの扉に結えられた留め金を外そうとします。
ここで倉庫の女性事務員の方が走ってきて、慌てた様子で、
「ちょっと待って!その荷物は荷主さんが来てから開けてください!」
といいます。
私がコンテナを開けるところをちゃんと見ることができるように、女性の事務員の方にまで徹底していただいたのです。本当に感謝感激でした。
そしてあらためて、、、いよいよコンテナご開帳です!
パチンッ!ギィイイイイ。。。
開いた!!!
急いでコンテナナンバーの書いてある留め金をポケットにしまいます。
すぐにコンテナに近づいてみました。
ふわーっと冷気とともに、懐かしいベルギービールたちが姿を現します。
ようこそ日本へ!長旅お疲れさま!
心の中でそう言いました。
醸造所から、木屋へ。
当たり前の張り紙ですが、こんなものでも嬉しいのです。
この張り紙は、メーカー直輸入の証しです。
ベルギービールたちはパレットに積まれ、倉庫に入ります。
数がちゃんとあっているか検品が行なわれます。
スペシャル・デ・ライク、お疲れさま!
今回はベルギーのジン(ジュネヴァ)もやってきました。お疲れさま!
倉庫から六甲山
こうして無事日本に到着したベルギービールたちとの再会を果たすことができました。
こんな私のわがままにお付き合いくださった、K社の皆様、H社のT様、O社の皆様、N社の皆様、大変お世話になりました。
今回のことは一生忘れません!
本当に本当にどうもありがとうございました。
2006.07.10
番外編その2 初輸入のベルギービール ついに上陸!
■始発の新幹線で神戸へ
初めて輸入するベルギービールたちが1ヶ月の長旅を終えてついにこの日神戸港に入港するということで、神戸港まで入港の様子を見に行くことになりました。
とはいえ、いくら荷主だといっても簡単にコンテナヤードに入れるはずもなく、船会社の方、ターミナルの方、関係会社の皆様に大変な無理をお願いしました。
きっとこんなことをお願いする阿呆はいないのでしょう。
逆に皆さん快く私のわがままに付き合ってくださることになりました。
朝5時台に自宅を出発、新幹線で新大阪に向かいます。
新大阪には7時17分着、その足で神戸方面へ。
今回待ち合わせした場所は、奇しくも私がサラリーマン時代に住んでいた場所に近い、JR住吉駅でした。
懐かしの住吉に到着したのが7時43分。
実はこの時間にはすでに船が港に着いているということでしたので、当初の予定では荷卸の様子を見せていただく、という話になっていました。
ところがこの日は台風が近づいてきており、船が多少遅れているというのです。
まさに怪我の功名!ということで、駅構内にある喫茶店で時間を潰しました。
この間に船会社の方からコンテナ船の運航や仕組みについていろいろと教えていただきました。
8時半頃、そろそろ時間も良い頃だ、ということでタクシーで住吉駅を出発。
そのまま港方面に南下していきます。
JR住吉駅からまっすぐ南へ向かうと、私が通勤のときに使っていた最寄の駅、阪神住吉駅がありました。
国道43号線を横切ると、今度はかつて住んでいた独身寮の横を通って、次に前に勤めていた会社の本社前を通過、そしていよいよ六甲アイランドへと向かいます。
別にお願いしたわけではありませんが、懐かしの場所オンパレードで本当に嬉しくなってしまいました。
小さく見えてきたコンテナ船
コンテナ・ターミナルに到着すると入り口ではとても厳重なチェックがありました。
飛行機だけでなく、こういったところでもテロなどへの警戒は厳重なのだそうです。
中にはいって事務所でコンテナ・ターミナルの方にご挨拶。
午前9時、しばしお話をしたあと屋上に上がってみると、近づいてくるコンテナ船を発見。
さっそく三脚を用意し、近づいてくる船の写真を撮ります。
湾内に入ると小さな船が曳航します
かなり近づいてきたところで今度は車でコンテナ・ヤードに向かいます。
ここでは全員ヘルメット着用。
かなり近づいてきました
船の名前がはっきり分かります。
今回大切なベルギービールを運んでくれているのは”NYK PEGASUS”。
なんと20フィートのコンテナが6,500も積載可能な巨大な船です。
積まれているコンテナ
僕のベルギービールはどこに載っているでしょう。
期待で胸が高鳴ります。
船をバックに記念撮影
自然と笑みがこぼれてきます。
いよいよ着岸
船、港側いずれも人があわただしく動きます。
ガントリークレーン
着岸したのを確認した私たちは荷卸の現場を見るために、巨大な門型のガントリークレーンの後方に移動します。
ものすごく効率よくコンテナが港に降ろされていきます。
コンテナはシャーシの上に降ろされ、トラクタが運んでいきます。
これが僕の荷物だ!
ターミナルの担当者の方が、ガントリークレーンの担当の方となにやら話をしています。
なんとわざわざ私の荷物が載っているコンテナの場所を調べてくれていたのです。
そして、
木屋 初輸入のベルギービール ついに上陸!
感動の瞬間でした。
ここから保税倉庫に移されるため、まだまだ中身を見ることは叶いませんが、ここまで見ることができただけでも十分満足でした。
炎天下の中およそ2時間強、ずっとコンテナ・ヤードにいてくださった大の大人3人の皆様、こんな私のわがままに付き合ってくださって本当に本当にどうもありがとうございました!
そしていよいよ次回はデバンニング(コンテナから貨物を取り出すこと)です。
2006.05.29
番外編その1 ベルギーの新聞に載った!
Japan gek op Belgisch streekbier
日本は、ベルギーの地方ビールがお好き。
ボーレンス、デ・モール、デ・ライクの三社が語る。
3ヶ月の交渉の末、とうとう日本向けに輸出。
ベルギーから戻って約2ヵ月半後の2006年5月29日(月)、
ベルギーのオランダ語新聞「Het Nieuwsblad」に、
なんと私がビールを輸入することついて記事が掲載されました。
写真は左からボーレンス醸造所のクリス・ボーレンス氏、
デ・モール蒸留所のパトリック・ヴァン・スカンデヴェイル氏、デ・ライク醸造所のアン・デ・ライク氏。
皆さんご近所同士ということでもともと知り合いなんです。
日本の国旗まで用意してもらって、、、本当に嬉しいです。
皆さんが一生懸命造った大切なベルギービール、そしてジュネヴァ。
ちゃんと日本の皆さんにご紹介しますからね!
どうもありがとう!
2002.03.06
4日目:帰国
グランプラス
午前8時起床。体調が悪く気持ちよく起きられない。
朝食後、ロンドンのJALに電話。荷物の件を問い合わせてみるが、ヒースローまで乗る予定のBAとはポリシーが異なるので直接交渉してくれとのこと。困った。10時頃まで電話をしたり日記をつけたりしながらぼーっと過ごした。体調も悪いし、残されている時間も半端なのでどうしようもないのだ。しかし今日は最終日。
とりあえずグランプラス周辺へ。タンタンのブティックに入り、昨日買おうと思っていたTシャツを息子のために購入。がーん、50ユーロ、高かった。となりのカフェでカプチーノをテイクアウトしてホテルへ。頭痛がひどくなってきた。とりあえず最終の荷造りを済ませてシャワーを浴び、ベッドに横になった。
昼前にチェックアウト。ポーターも、「この荷物無茶苦茶重いな~、何がはいってるんだ?」と笑っている。タクシーの運転手も荷物を持ってみてびっくりしている。そして空港到着。ここでも小事件。お金が足らなかったのだ。日本円を持っていたのでいそいで空港で両替して何とか降りた。
BAカウンターでチェックイン。ここでもやはり、重いな~と笑われる。笑われるのはまったくかまわないのだが心配なのはその後だ。重量計を見てみるとなんと70kg!ある。前々回は二人で88.4㎏で大騒動だったのだが今回はその比ではないのだ。それでもそ知らぬ顔をして立っていると、「お客様のお荷物は50㎏オーバーで日本までの追加料金は2,800ユーロになります。」などといわれた。2,800ユーロといえば約30万円!!
ここで交渉が始まった。あまりやりたくなかったのだが、ヒースローで荷物をピックアップして後はJALと再交渉することで決着。すぐに追加料金233ユーロを支払って荷物を預けた。自分としては瓶に対するお咎めがあると心配していたのでまずはそれが無くて一安心。しかしまたもやヒースローでの仕事が増えた。心配だ。
相変わらず調子は悪いが無理にでも何か食べなくては、と思いレストランで軽食。その後スムーズに午後3時25分定刻どおりブリュッセルを発った。すると機内でまた軽食、がーん。しかし卑しいのでまた食べてしまった。そうそうここでまた時差マイナス1時間だ。
定刻どおりロンドン・ヒースロー空港到着。乗り継ぎなのに一旦荷物を受け取るというのはずいぶんややこしい。パスポートコントロールで止められたが、たまたま通りがかった日本人男性が助けてくれた。荷物のほうはというと片方のサムソナイトのほうから液が染み出しており、どうやら中で割れているようだった。
30分近くターミナルの中を迷った挙句やっとの思いでJALのカウンターへ。ここで割れている旨告げると、この場で中を開けて割れ物を片付けてくれとのこと。中を開けてみるとブロンシュ・ド・ナミュールが1本割れていた。あー、もったいない。
そして緊張の瞬間!荷物を計ってみると当然のごとく重量オーバー。日本円で約24万円!!カウンターのTさんは払えなければ別送してくれという。しかし今回の荷物はどうしても自分と一緒に持ち帰らなければいけなかったので、持てるだけの荷物を手荷物に移すから袋をください、と交渉。しかし袋が品切れ中。じゃあ買いに行ってきます、という私。すったもんだしていると男性の職員のMさんが登場。
「お客様、どうしても追加料金をお支払いいただけないのですか。」というので、「支払いたいのですがあまりにも高額なので少しでも減らしたいのです。」というと、「わかりました」と言いMさんはおもむろに動き出した。
プラスチックの箱を持ってきて急いでここにバッグを入れなさいと言う。そうなのだ、カウンターでごたごたやっているうちにたっぷりあった時間は無くなり、搭乗時刻が迫っていたのだ。すでに45分前だ。私も時計を見て本当にあせってきた。「お客様!ここをちゃんと押さえて!」Mさんは私にも指示しながらてきぱきと荷造りを完了。MさんがTさんにそっと耳打ちした後、荷物だけあっという間に積み込まれていった。
私は何が起こっているのかわからずTさんに尋ねた。すると「今回はもう搭乗までの時間がありませんのでこのままお通りください。これはMさんの計らいですからお礼を言っておいてくださいね。」という。本当に嬉しかった。もう飛行機に乗れないのではないかと思っていたので、なおさら嬉しかった。私はTさんとMさんに充分にお礼を言ってゲートへと急いだ。
今回はJALのTさん、Mさんのおかげで無事に通ることが出来たがもうこんな経験はこりごり。お金が節約できたとしても寿命が5年縮まったように思った。次回からはちゃんと別送するようにしよう。
こうしてどたばたのベルギー行きは終了した。
2002.03.05
3日目:カンティヨン醸造所
![]() 綺麗になっていたカンティヨン醸造所の外壁 |
6時前に目が覚めた。朝食後朝のグランプラスへ。まだ人も少なく、レストランへの搬入車以外はゆったりとしている。とても気持ちが良い。
徒歩で楽器博物館へ。ブリューゲルの絵に出てくる楽器の解説など見ることができ、とても興味深かった。そのまま王立美術館のアートショップへ。ここでランビックが登場しているブリューゲルの絵葉書など購入、ホテルに戻った。
12時に前回もお世話になった某銀行現地法人の方々と待ち合わせ。シェ・レオンのすぐ前にある、Aux Armes de Bruxelles という落ち着いた雰囲気の店で昼食を取った。
マッシングタンクで作業するヴァン・ロワさんの息子
午後からいよいよ目的のカンティヨン醸造所へ。ブリュッセル南駅から徒歩で5分くらい、一度来ているので場所はすぐに分かった。
しかしいきなり驚いたことに外壁が綺麗に塗り替えられていた。中に入るとちょうどマッシュの粕をとりのぞいてトラックで運び出すところでとても忙しそう。入り口にはやはりあのヴァン・ロワさんが6年前と変わらぬ元気そうな顔で迎えてくれた。
煮沸釜
行程は説明書に従い自分で回れとのこと。このほうが気楽でじっくり回れるのでとてもよかった。
入り口からまっすぐ奥へ行くとマッシング・タンク。ここで粉砕された麦と湯が混ぜ合わされ麦汁が造り出される。
2階に上がるとすぐに煮沸釜。先ほどの麦汁に古いホップが加えられ煮沸される。煮沸後はホップ粕を取り除いて冷却槽に運ばれる。
穀物倉
さらに進むと穀物倉へ。とても薄暗くひんやりしている。ここに小麦、大麦麦芽、古いホップが保存されている。
改修されていた穀物倉の屋根
ここでまた驚いたことに屋根が改修されていた。以前来たときには、ここでは醸造所固有の微生物などのバランスを崩さぬよう改装なども行わないと聞いていたからだ。後で聞いてみると1年前に改修したとのことだった。
そして先ほどの冷却槽へ。ここに麦汁が入れられる瞬間には人だかりができるほどの重要な場所。部屋いっぱいに赤銅でできた大きな冷却槽がある。煮沸された麦汁はここで空気に触れて冷却される。ここでランビックの発酵に不可欠な野生酵母が麦汁に根付く。
発酵中の樽
また下の階に降り今度は樽の貯蔵室へ。冷却された麦汁は木樽に移される。
(※カンティヨン醸造所の醸造行程についてはこのほかに写真もたくさんありますので別に詳しくご紹介する機会を作りたいと思います。)
一通り回った後ティスティング。他にも団体客がおり、一緒にグーズ、クリークなどをいただいた。まもなく日本に入ってくるであろう、サン・ランヴィナスはこのとき飲むことができなかった。
最後にクロード夫人の手作りだと言う、グーズ、クリーク、ロゼ・ド・ガンブリヌスを使ったカンティヨン特製のジャムなどを購入、ヴァンロワさんに挨拶をして醸造所を後にした。
その後思い出したことがあり中央駅から徒歩で昨日の ”Bieres Artisanales”へ。往復1時間の道のりだ。ホテルに戻ってビールの梱包などをしているうちに7時半。
7時半に毎回お世話になっているカトリーンさんと待ち合わせをしていたのだ。約4ヶ月ぶりの再会。お互い、こんなに早く会うとは思わなかったね、などと話しながらグランプラスの有名店、ケルダルケ”‘t Kelderke”へ。やはり有名店だし場所も抜群に良いのでとても混んでいた。
ここでは以前から興味のあった、”Lapin a la gueuze”(ウサギ肉のグーズ煮こみ)を注文。ビールはセリス・ホワイトの生。カトリーンさんとも久しぶりにゆっくりいろいろな話ができた。
その後ホテル近くのカフェ、Lop Lopへ。ここでパルム、マルールなど飲んでいるうちに急に頭とお腹が痛くなって急遽帰ることに。カトリーンさんとはまたの再会を約束してホテルに戻った。
2002.03.04
2日目:ブリュッセル
Bieres Artisanales 店主と
6時半ごろ起きて朝食に下りてみるとほとんどが日本人のツアー客ばかりで驚いた。さすがローマ、ブリュッセルでは考えられないことだ。
朝食後チェックアウトして早めに空港へ。指定のゲートで待っているとゲート変更のアナウンス。その後予定の8時45分を過ぎてもまったく動きがない。結局飛行機に乗り込んだ後も遅れに遅れて10時過ぎにようやく離陸した。
12時にブリュッセル着、国鉄で中央駅へ。今回宿泊のメリディアンは駅のすぐ目の前だから安心だ。まずは数少ないベルギーの知り合いの皆さんに電話。明日の夜は一人で食事をしなくてもよくなった。ここで少し安心。
2時ごろ徒歩でポルト・ド・ナミュール駅方面へ向かう。外は少し暑いくらいの陽気でとても気持ちが良い。しかし目的の場所はなかなか見つからず何度も訪ね歩いてようやく見つかった。
いよいよやってきた”Bieres Artisanales”。ブリュッセルでも屈指のベルギービール専門店だ。もう欲しいビールのオンパレード。まずは頼まれたビールを順番に出してきてもらう。数が多いので店主も驚いているようだ。
ビール博物館の中
途中新入荷のビールなど試飲させてもらいながら自分用のビールやグッズをゆっくり選んだ。そのうち店主がマイケル・ジャクソンの”Michael Jackson’s Great Beers of Belgium”を出してきて「うちは”Where to buy Belgian Beer”のページにも載っているんだ。」というので「実はうちも載っている日本の酒屋なんです。」というと納得の様子。一緒に写真など撮った。
店主にタクシーを呼んでもらいホテルへ。荷物を降ろすポーターが呆れ顔で笑っている。それもそのはず、購入したビールは80本を超えていた。
館内のバー
まだ明るいのでグランプラスへ。こんなに早くこの広場に再会できるとは思っても見なかった。いつ、何度来ても色々な顔を見せる素晴らしい広場。
久しぶりにビールギルド(ビール博物館)に入ってみた。しかし中の電気は消されており、開店休業状態、3ユーロ払ってビールだけ飲んですぐに出た。
その後洋書屋さん、酒屋さんを物色、ビールの本や、今晩飲むビールなどを購入して再びグランプラスへ。そろそろお腹も空いてきたので、前回行きそびれた店へ向かった。
グランプラス
そこは”Brasseurs-Brouwers”といって、ギャルリー・サン・チュベールからグランプラスに入るすぐ手前に2001年7月に出来たばかりのマイクロブルワリー。何もここで食べることはなかったのだが、これまた今まで食べそびれていたワーテルゾーイを頼んだ。珍しく予想通りの味わいでとても美味しく食べることが出来た。レギュラービールは3種類あったので全ていただいた。しかし一人で飲んでいるとなんだか酔うのも早いような気がする。
早々とホテルに帰ってビールの梱包等。今日はくたくたに疲れてしまい10時ごろ寝てしまった。
※この日から通貨はユーロに換わっている。ベルギー・フランは2月末日を以って使えなくなった。
※ブリュッセル中央駅はまだ工事中。今回はチケット売り場も仮のものだった。
2002.03.03
1日目:ミラノ経由でローマへ
Hilton Rome Airport
「三輪さん、明日からベルギーへ行ってくれないかな。」
この電話から今回のベルギー行きが急遽決まることになった。
まさか行けるはずが、、、と思っていたのに二日後の今日にはなぜか空港に向かっていた。思いがけず4ヶ月ぶりにまたベルギーに行くことになった。
1週間分の仕事の段取りと、ベルギー行きの準備を大急ぎでして日曜日早朝新幹線に乗って東京へ。成田エクスプレスにも初めて乗った。グリーン車で快適だったがとても寂しい。なんといってもヨーロッパの一人旅、海外旅行すら一人で行くのは初めてなのだ。
11時成田空港に到着してからが忙しい。
まず足らないものを購入、チェックイン、とここまでは良かったのだがこの後事件。
今回はミラノ経由でローマまで行き、そこで一泊しブリュッセルという行程なのだが、ローマまではアリタリア航空で行くことになっていた。
今回向こうでお世話になる方々にお土産として日本酒を持参したのだが、アリタリア航空では以前に乗客の酒が割れたことがあり、全て手荷物で持ち込んでくれとのこと。カウンター前で全ての荷物を開けて日本酒を取り出す羽目になってしまった。
その後、保険加入、両替、昼食と時間はすぐに過ぎて、気が付いたらもう搭乗の時刻。結局家に電話することもできず飛行機に乗り込んだ。
乗客は卒業旅行と思われる学生、あとはお年寄りが多くほぼ満席。
今回は機内に持ち込むものまで考えている余裕がなかったので読む本も無い。
時間をつぶすのにとても苦労した。
現地時刻の17時10分ミラノ着。ここで約2時間も待たされ、20時10分にローマ到着。しかし眠い、日本ならもう朝の4時ごろ。
荷物を受け取って外へ。周りには先ほどと違って日本人の姿も見当たらず、ここからが心細い。
しかし幸い今回の宿である「ヒルトン・ローマ・エアポート」は空港内にあるのですぐにたどり着くことができた。1999年にできたばかりというとても美しいホテルだった。
チェックイン後空港に戻り、食料を入手。せっかくなのでイタリアのビールを、と思って探したが全く見つからなかった。仕方が無いので、イギリスやデンマークのビール、あとホットドッグのようなものを買って食べてみたが、無茶苦茶まずくて全部捨ててしまった。
ホテルに戻って明日の時間など確認しているとすでに午後11時。
明日発ってしまうのでこのまま寝るのももったいないが、とにかく不安なので早めに寝て早起きする事にした。
1996.10.05
7日目:最終日
この後気が抜けてしまったのか、デジタルカメラによる写真は一枚も無かった。
ロンドンでは タワーレコードへ行ったかな?
「クリーム」のビデオ買ったけど、信号が違うとか何とかで、 ぜんぜん見れなかった。
一通りここではお土産を買って、無事大阪に帰ってきた。
しかし、ベルギーは良かった。前回のドイツも良かったが、今回はもっと良かった。
やっぱり実際に見てこないと分からないことはたくさんあった。
もっともっと勉強してから もう一度ベルギーを訪れてみたい。
おわり。
1996.10.04
6日目:再びブリュッセルヘ~カンティヨン醸造所~ロンドンへ
カンティヨン醸造所
ブルージュよりバスにて再びブリュッセルへ。「シェ・レオン」にて昼食後、 カンティヨン醸造所へ。
ブリュッセル南駅近くにあり、昔ながらの手作り製法で冬期にのみ醸造を行う小さな醸造所。 カンティヨン醸造所では、辛口で酸味の強い昔ながらのランビックを今も造り続けている。
にぎわうブリュッセル市内の飲食街
道の両側にところせましと飲食店が立ち並ぶ。
カンティヨン醸造所 樽貯蔵庫
この醸造所が一番印象に残った。古い建物、暗い醸造所内、オーク樽、クモの巣、まさに手作りの ランビックの醸造所ならではの風景がいっぱい。ほこりもクモの巣も自然醗酵のランビックにとっては 強い味方なのだ。
瓶詰め器械(かな?)
あっ、グースのラベルだ。
テイスティング
何種類かのランビックをテイスティング。素晴らしい。右は社長さん。気さくなおじさんだった。 この後、ユーロスターの乗ってロンドンへ。しゃっくりがまだ止まらない。
The Bishops Finger
最後のビアパーティーはロンドンのパブ「ビショップス・フィンガー」で。ロンドンならではの 雰囲気。
小西酒造の社長様ご夫妻と
今回の旅で大変お世話になった小西酒造の社長様ご夫妻、同室だった東京のベルギービール専門店 の高野氏と。