2021.03.23

木屋の歴史② 江戸時代後期~味噌醤油醸造業の時代

味噌醤油醸造業

木屋は郷宿業の傍ら、味噌醤油醸造業を開始したのですが、正確な開始時期についてはわかっていません。
口伝では、江戸時代後期に開始したと伝えられています。

その後、明治・大正・昭和時代にかけて醸造は続いていましたが、太平洋戦争(1941-1945)によって停止。
1950年頃はまだ味噌醤油蔵が残っていたそうです。

その後、「木屋」という溜り醤油のブランドのひとつは愛知県のイゲヒチ醤油さん(現在は廃業)に引き継がれ、木屋のプライベート・ブランドとして2000年頃まで製造が続けられました。

傳右衛門という名

「木屋」が史料上に登場する最も古い記述に「伝右衛門」が登場します。
人別帳等の古文書の調査により、その後も「傳右衛門」という名前が代々継がれていたことがわかっています。
※「傳」は、「伝」の旧字体

現在、木屋では「木屋傳右衛門」という清酒を販売していますが、その名前はこの傳右衛門にちなんだものです。
※清酒「木屋傳右衛門」は愛知県津島市の長珍酒造株式会社様で造っていただいています。

 

伝右衛門(?-1806)

笠松村上本町にて郷宿を営み、1811年(文化8年)、訴訟文書に仲裁人として名が残る。


※写真は、1818年(文化15年)生まれの傳右衛門(実名は高遠)が、父・傳右衛門のために建てた墓。
父・傳右衛門は囲碁が好きな人だったため、墓石も碁盤を模したものにした、と伝えられています。

傳右衛門(1787-?)

1787年(天明7年)生まれ。
1829年(文政12年)、1837年(天保8年正月)の人別帳に登場する傳右衛門。

傳右衛門(1818-?)

1818年(文化15年)生まれ。
1842年(天保13年)の人別帳に登場する傳右衛門。前名は傳十郎。実名は高遠。重蔵の父。

 

■人別帳・文政12年(1829)

高一石一斗四合四勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  43才(=1787年生まれ)

女房   いち    33才(=1797年生まれ)

妹   いと    22才(=1808年生まれ)
(この記載は間違いか)

倅   傳十郎   12才(=1818年生まれ)

倅   市十郎   10才(=1820年生まれ)

倅   八十郎   7才(=1823年生まれ)

倅   三十郎   4才(=1826年生まれ)

■人別帳・天保8年正月(1837)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  51才(=1787年生まれ)

女房   いち    41才(=1797年生まれ)

倅    傳十郎   20才(=1818年生まれ)

嫁    くの    18才(=1820年生まれ)

倅    八十郎   15才(=1823年生まれ)

倅    三十郎   12才(=1826年生まれ)

嫁    しやう(長十郎の嫁か? 去九月死去と)

倅    長十郎(去九月死去と)

■人別帳・天保13年(1842)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  25才(=1818年生まれ)

女房   くの    23才(=1820年生まれ)

弟    八十郎   20才(=1823年生まれ)

弟    三十郎   17才(=1826年生まれ)

母    いち    46才(=1797年生まれ)

 

人別帳には、その家々の持ち高(田畑の収穫量)が記載されており、当家は一石以上ありました。
当時は郷宿(及び醸造業)を営んでいたので農業専業ではありませんでしたが、他家より多い石高を持っていることから、当時は裕福だったと思われます。

続き→木屋の歴史③ 明治時代~名古屋への進出

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