2021.03.24

木屋の歴史③ 明治時代~名古屋への進出

名古屋への進出


明治38年当時の大福帳(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)


大福帳の内容(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

重蔵の代(1851-1898)

1891年(明治24年)、現社長の高祖父・重蔵(当時40歳)とその長男・傳十郎(当時18歳)親子が味噌醤油の販路拡大のため名古屋に進出。
※実際にはもう少し早かった、という説もあります。

岐阜での味噌醤油醸造は傳十郎の弟たちが担いました。

口伝で、当初は現在の松坂屋名古屋店のあたりにいたと伝えられていますが、今回調査した戸籍にも「名古屋市南大津町134番戸」という記載があり、実際に住んで商売をしていたことがわかっています。

重蔵は1898年(明治31年)4月1日、47歳でこの地にて亡くなり、同年5月24日に長男傳十郎が家督を相続しました。

傳十郎の代(1873-1925)

傳十郎は1907年(明治40年)1月14日に結婚。
1911年(明治44年)9月29日に長男、三十郎が誕生。
傳十郎は、1925年(大正14年)11月25日、52歳で中区鶴舞町にて亡くなりました。

重蔵から傳十郎の時代は、岐阜で製造した味噌醤油の販路を拡大しました。
木屋は名古屋出店後、南大津町(現在の中区栄三丁目)、鶴舞町(現在の中区千代田または昭和区)、久屋町(現在の東区泉)を経て、中市場町(現在の中区丸の内)に来たようです。

中市場町

旧木屋があった場所。(現在の中区丸の内三丁目)
京町筋の大津町通と久屋町通の間の町。

清洲越しの町であり、清洲時代には北市場、中市場、西市場という市がありました。
中市場では、川魚・塩・野菜類が売られていました。
1609年(慶長14年)の清洲越で名古屋に移り、旧名を用いて中市場となりました。

1966年(昭和41年)3月30日、住居表示実施に伴い、中区丸の内三丁目に編入。この時点で中区中市場町全域が消滅。
1976年(昭和51年)1月18日、東区中市場町3丁目の全域が泉一丁目に編入され廃止。


明治四十五年略暦(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

明治45年は、すでに重蔵が亡くなっているにも関わらず、「木屋重蔵」とあります。
同様に亡くなった後も重蔵宛に届いている葉書(下)が残されていますので、傳十郎も父親の名を継ぐ形で商売上は「重蔵」を名乗っていた時期があると思われます。


明治30年代頃に重蔵宛に送られた葉書

〈翻刻〉
名古屋
久屋町三丁目
味噌溜り屋
三輪重造様
集人々 ※家人、従業員等「三輪家に集まっている人々」の意か。
岐阜市笹土居町
山三 糀屋 西村

 

続き→木屋の歴史④ 現代~酒類の取扱開始

 

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