スタッフブログ

いつもありがとうございます!
ベルギービールJapanの小林です。

昨日、いよいよベルギービールウィークエンド2021の日程が発表されました!

ベルギービールウィークエンド

〇名古屋会場 久屋大通公園・エディオン久屋広場・エンゼル広場
4月28日(水)~5月9日(日) 初日28日16:00~19:30 そのほか11:00~19:30
ビールのラストオーダーは19:00まで
※まん延防止等重点措置にともない、終了時間が変更になりました。

〇大阪会場 大阪城公園 太陽の広場
5月13日(木)~5月16日(日)  13、14日16:00~21:00  15、16日11:00~21:00

〇横浜会場 山下公園
5月20日(木)~5月23日(日) 初日20日16:00~21:00  そのほか11:00~21:00(ラストオーダー終了30分前)

〇東京会場 日比谷  日比谷公園
6月17日(木)~6月20日(日) 17日 16:00~22:00 18日、19日 11:00~22:00  20日 11:00~21:00

〇東京会場  豊洲  サイタブリア ベイパーク

9月17日(金)~9月26日(日) 平日16:00~22:00 週末祝日11:00~22:00

当店は、ゴールデンウィーク期間中の名古屋会場へ出店します

安全安心に開催し、みなさまと一緒にベルギービールで乾杯できることを、心から楽しみにしています!

ベルギービールウィークエンド公式サイト


昭和13年当時の酒類小売業免許証

三十郎の代(1911-1993)

三十郎という名前は、先祖に三十郎というとても優秀な人がいたことから名付けられた、と聞いていましたが、今回の調査で実際に大叔父(重蔵の弟)に同名の三十郎がいたことがわかりました。

三十郎の代では、酒類、塩の取り扱いを開始。
酒類小売業免許及び、卸売業免許も取得。
1970年9月10日に、株式会社木屋として法人化。

この頃の木屋は、家庭用、業務用、法人、官公庁を主な得意先としていました。
店舗では味噌の量り売り、立呑も行われていました。


昭和16年当時の木屋平面図(当時の従業員の方が描いてくださったもの)


昭和16年当時の木屋正面と店内に入ったところ(当時の従業員の方が描いてくださったもの)


1970年代頃の木屋(左から2番目は三十郎、一番右は一記)

鑛一の代(1938-)

酒類卸会社勤務後、木屋入社。
その後まもなく、株式会社ラッキーストアー設立。
当時はまだめずらしかった、酒類を取り扱うスーパーマーケット「スーパー ラッキーストアー」を愛知県西春日井郡清洲町(現在の清須市)に開店。
木屋の支店として酒類の販売を行っていました。

この頃の木屋は、業務用、法人、官公庁を主な得意先としていました。
日本名門酒会加盟。

1980年代には店舗の改装を行いました。


平成29年当時閉店前の旧木屋

一記の代(1967-)

清酒醸造メーカー勤務後、木屋入社。
日本酒、ワイン専門店を経て、ベルギービールの取り扱いを開始。
1995年、インターネットでのビール販売を開始。
2004年、ベルギービールJapanオープン。
2006年、ベルギーからの直接輸入開始。

2017年10月、現在の場所(中区丸の内3-8-2)に本社移転。
BEER BOUTIQUE KIYA開店。

京町通

京町筋の七間町より伊勢町までの間をいう。
清須越の町で、清須当時の町名を、そのまま用いた。
清須へ多くの商人が移り住み、呉服物、細物、太物類を商っていたので、京町と名付けられた。

名古屋の京町は、清須の呉服物の商店が並ぶ町から、大坂の道修町に匹敵する薬種商の町へと変貌していった。
代表的な薬種商としては、長崎から直接唐物の薬を仕入れ、販売していた生田治郎八。
今川義元の家に代々伝わる今川赤龍丹を販売する日野屋六左衛門。価銀四匁五分の山帰来という薬を売っていた山口利兵衛がいた。

現在も京町で商売をしている中北薬品の祖、井筒屋中北伊助が、この町に店をかまえたのは寛政年間(一七八九?一八〇一)のことだ。
「好事魔多し」安政二年(一八五五)二月二十五日の夜、井筒屋の伊助方の風呂場より出火し、京町全域を燃え尽くしてしまった。
井筒屋だけでも八千両の薬が灰になった。
井筒屋は謝罪の意をこめて、毎月二十五日は風呂をたかないという。
現在に至るも中北家では、この家憲を護っている。

安政二年の大火をきっかけとして、京町は、さらに薬種商の町として発展していった。
明治二十年には、漢方薬にかわり、初めて船来薬(洋薬)が京町で販売されるようになった。
大正初期には薬祖神社をつくり、四十軒の問屋の守り神とした。

町内には薬種商の他、町医の蘇森子桂が住んでいた。
子桂は河村秀根(著名な国文学者で尾張藩士)に数十両の借財をしていた。借金を返すあてもない。
そこで子桂は秀根が幕府討伐の密談を重ね、反逆を企てていると幕府老中松平右近将監の用人に密告した。
負債を免れるとともに、賞金を得ようとして企てた事件だ。
幕府が厳しく糾問した結果、誣告の事実が露見した。
子桂は、江戸市中を引きまわしの上、獄門に処せられた。安永七年(一七七八)のことだ。

京町は明治五年、両替町に併合された。
明治十一年には再び京町の町名は復活した。

昭和四十一年、住居表示により丸の内三丁目となる。

旧町名の概要と由来 / 旧町名を復活させ、名古屋を元気にしよう!HPより

名古屋への進出


明治38年当時の大福帳(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)


大福帳の内容(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

重蔵の代(1851-1898)

1891年(明治24年)、現社長の高祖父・重蔵(当時40歳)とその長男・傳十郎(当時18歳)親子が味噌醤油の販路拡大のため名古屋に進出。
※実際にはもう少し早かった、という説もあります。

岐阜での味噌醤油醸造は傳十郎の弟たちが担いました。

口伝で、当初は現在の松坂屋名古屋店のあたりにいたと伝えられていますが、今回調査した戸籍にも「名古屋市南大津町134番戸」という記載があり、実際に住んで商売をしていたことがわかっています。

重蔵は1898年(明治31年)4月1日、47歳でこの地にて亡くなり、同年5月24日に長男傳十郎が家督を相続しました。

傳十郎の代(1873-1925)

傳十郎は1907年(明治40年)1月14日に結婚。
1911年(明治44年)9月29日に長男、三十郎が誕生。
傳十郎は、1925年(大正14年)11月25日、52歳で中区鶴舞町にて亡くなりました。

重蔵から傳十郎の時代は、岐阜で製造した味噌醤油の販路を拡大しました。
木屋は名古屋出店後、南大津町(現在の中区栄三丁目)、鶴舞町(現在の中区千代田または昭和区)、久屋町(現在の東区泉)を経て、中市場町(現在の中区丸の内)に来たようです。

中市場町

旧木屋があった場所。(現在の中区丸の内三丁目)
京町筋の大津町通と久屋町通の間の町。

清洲越しの町であり、清洲時代には北市場、中市場、西市場という市がありました。
中市場では、川魚・塩・野菜類が売られていました。
1609年(慶長14年)の清洲越で名古屋に移り、旧名を用いて中市場となりました。

1966年(昭和41年)3月30日、住居表示実施に伴い、中区丸の内三丁目に編入。この時点で中区中市場町全域が消滅。
1976年(昭和51年)1月18日、東区中市場町3丁目の全域が泉一丁目に編入され廃止。


明治四十五年略暦(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

明治45年は、すでに重蔵が亡くなっているにも関わらず、「木屋重蔵」とあります。
同様に亡くなった後も重蔵宛に届いている葉書(下)が残されていますので、傳十郎も父親の名を継ぐ形で商売上は「重蔵」を名乗っていた時期があると思われます。


明治30年代頃に重蔵宛に送られた葉書

〈翻刻〉
名古屋
久屋町三丁目
味噌溜り屋
三輪重造様
集人々 ※家人、従業員等「三輪家に集まっている人々」の意か。
岐阜市笹土居町
山三 糀屋 西村

 

続き→木屋の歴史④ 現代~酒類の取扱開始

 

味噌醤油醸造業

木屋は郷宿業の傍ら、味噌醤油醸造業を開始したのですが、正確な開始時期についてはわかっていません。
口伝では、江戸時代後期に開始したと伝えられています。

その後、明治・大正・昭和時代にかけて醸造は続いていましたが、太平洋戦争(1941-1945)によって停止。
1950年頃はまだ味噌醤油蔵が残っていたそうです。

その後、「木屋」という溜り醤油のブランドのひとつは愛知県のイゲヒチ醤油さん(現在は廃業)に引き継がれ、木屋のプライベート・ブランドとして2000年頃まで製造が続けられました。

傳右衛門という名

「木屋」が史料上に登場する最も古い記述に「伝右衛門」が登場します。
人別帳等の古文書の調査により、その後も「傳右衛門」という名前が代々継がれていたことがわかっています。
※「傳」は、「伝」の旧字体

現在、木屋では「木屋傳右衛門」という清酒を販売していますが、その名前はこの傳右衛門にちなんだものです。
※清酒「木屋傳右衛門」は愛知県津島市の長珍酒造株式会社様で造っていただいています。

 

伝右衛門(?-1806)

笠松村上本町にて郷宿を営み、1811年(文化8年)、訴訟文書に仲裁人として名が残る。


※写真は、1818年(文化15年)生まれの傳右衛門(実名は高遠)が、父・傳右衛門のために建てた墓。
父・傳右衛門は囲碁が好きな人だったため、墓石も碁盤を模したものにした、と伝えられています。

傳右衛門(1787-?)

1787年(天明7年)生まれ。
1829年(文政12年)、1837年(天保8年正月)の人別帳に登場する傳右衛門。

傳右衛門(1818-?)

1818年(文化15年)生まれ。
1842年(天保13年)の人別帳に登場する傳右衛門。前名は傳十郎。実名は高遠。重蔵の父。

 

■人別帳・文政12年(1829)

高一石一斗四合四勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  43才(=1787年生まれ)

女房   いち    33才(=1797年生まれ)

妹   いと    22才(=1808年生まれ)
(この記載は間違いか)

倅   傳十郎   12才(=1818年生まれ)

倅   市十郎   10才(=1820年生まれ)

倅   八十郎   7才(=1823年生まれ)

倅   三十郎   4才(=1826年生まれ)

■人別帳・天保8年正月(1837)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  51才(=1787年生まれ)

女房   いち    41才(=1797年生まれ)

倅    傳十郎   20才(=1818年生まれ)

嫁    くの    18才(=1820年生まれ)

倅    八十郎   15才(=1823年生まれ)

倅    三十郎   12才(=1826年生まれ)

嫁    しやう(長十郎の嫁か? 去九月死去と)

倅    長十郎(去九月死去と)

■人別帳・天保13年(1842)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  25才(=1818年生まれ)

女房   くの    23才(=1820年生まれ)

弟    八十郎   20才(=1823年生まれ)

弟    三十郎   17才(=1826年生まれ)

母    いち    46才(=1797年生まれ)

 

人別帳には、その家々の持ち高(田畑の収穫量)が記載されており、当家は一石以上ありました。
当時は郷宿(及び醸造業)を営んでいたので農業専業ではありませんでしたが、他家より多い石高を持っていることから、当時は裕福だったと思われます。

続き→木屋の歴史③ 明治時代~名古屋への進出

2017年11月に本社を移転した機会に、以前からやっておきたかったことの一つである、木屋の歴史について調べることにしました。
その際、お願いするならこの方、と心に決めていた、埼玉県所沢市の行政書士 丸山学先生に依頼しました。
丸山先生は家系図作成を専門に行なっておられ、多くのメディア出演、講演実績の他、著書も出版されています。

調査は2018年4月から約1年半かけて本当に丁寧に行っていただきました。
その中で木屋の歴史に関する部分を書いていきたいと思います。


笠松陣屋跡

木屋のルーツ

木屋は現在、愛知県名古屋市中区丸の内にありますが、そのルーツは現在の岐阜県羽島郡笠松町にあります。

菩提寺の過去帳等で江戸時代前中期のものが現存していれば、いつから「木屋」の屋号が使われるようになったかが分かるのですが、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震により消失しており、残念ながら確認することはできませんでした。

三輪家には、江戸時代から「木屋(きや)」の屋号を称し、美濃国(みののくに)羽栗郡笠松村(現岐阜県羽島郡笠松町)にて郷宿(ごうやど)を営んだ後、江戸時代後期には醤油醸造業を開始。
1891年(明治24年)に重蔵・傳十郎が販売部門を名古屋に出店した、との口伝があります。
※実際には名古屋に出店したのはもう少し早かった、という説もあります。

郷宿の時代

木屋が営んでいた郷宿(ごうやど)は、公事訴訟や裁判のために地方から来た者を宿泊させた江戸時代の宿屋のことで、公事宿公事人宿・出入宿・御用宿とも呼ばれていました。
藩庁・代官所在地などにある宿なのですが、通常の旅人を宿泊させる宿ではなく、藩庁や代官所に公用のある地方の庄屋等を主な顧客としていました。
また、訴訟を起こす者の宿でもありました。
そのため、訴訟を受け付ける藩庁や代官所の傍に所在していました。

そして、単に訴訟の用事できた人々を泊めるだけでなく「訴状の作成」「訴訟手続の代行」「弁護人」等の仕事も引き受けていました。
現代でいうところの弁護士、司法書士といった仕事になります。


笠松陣屋・県庁の跡

笠松は幕府直轄領でしたので、代官(郡代)が置かれ、その代官の役所を陣屋(じんや)と呼びました。
笠松陣屋は現在の笠松県庁跡にありました。
木屋があった場所はそのすぐ傍です。

その笠松陣屋と一対となっているのが郷宿です。
陣屋が出来れば必ずそこに郷宿が必要となるわけです。

『笠松町史』には、岐阜落城の翌年、1601年(慶長6年)に幕府からの使いによって役所が作られて以降、郷宿も作られるようになったとあります。
美濃郡代の陣屋は当初可児郡徳野にありましたが、1662年(寛文2年)に陣屋を笠松に移転しています。

この時に笠町陣屋の周辺に郷宿が生まれたことは間違いないことから、1662年(寛文2年)または、その少し後に「木屋」の屋号で郷宿を始めたと考えられます。

郷宿の仕事

木屋では、毎日のように笠松陣屋に公用で出向いてきた美濃国各村の庄屋や、訴訟の用事で来た人々を宿泊させ、特に訴訟人のために、手続きの代行、弁護といった仕事をしていました。

『笠松町史 上巻』の472~475ページにかけて「田代の紋所争論」と題して、1811年(文化8年)に田代村で起きた争論の顛末が記述されています。
この時の当家の祖先である「郷宿 伝右衛門」は、仲裁人といった役割で署名をしています。
※これが「木屋」が史料上に登場する最も古い記述になります。


『笠松町史 上巻』

その内容はこうです。
田代村の小前下百姓である忠吉と儀蔵、さらに中分百姓の半兵衛という三人が従来使用していた衣類の紋所「三ツ亀甲」を捨て、新たに頭百姓だけが使用できる「釘貫」の紋を使用しはじめたのが事の発端。

そうした身分違いの紋を使用することは村のしきたりを乱すものだとして、庄屋をはじめ村役人が笠松郡代役所(笠松陣屋)へ訴え出ました。
吟味の結果として、半兵衛は検地縄請け(村の開拓当時からの高い家柄)の子孫であり、実は中分百姓ではなく頭百姓に当ること、忠吉と儀蔵についても元をたどれば、その半兵衛の分家であることが分かりました。

元をたどれば村内でも高い家柄だということが確認されたのです。
ただし、同時に現在は検地帳にも名を載せていない下百姓であるとも断じられました。
とはいえ、何の紋を付けても差し支えないであろうということを双方へ説得させ、結局和解することになります。
この仲裁に入っていたのが笠松の郷宿の二名であり、そのうちの一人が伝右衛門でした。

木屋は、こうした郷宿としての業務を行いながら、やがて醤油醸造業も併せて行うようになっていきました。

続き→木屋の歴史② 江戸時代後期~味噌醤油醸造業の時代

ウェストマール修道院のトラピストビールは、ダブル、トリプルが知られていますが、実は以前からもう1種類のビールが造られていました。

ウェストマール・エクストラ330ml
(写真は2018年2月に訪問したときのもの)

オレンジがかったゴールド。
レモンのような柑橘系のフルーツの香り、ホップのさわやかな香り。
トリプルと味の方向性は似ていますが、とても軽く、さわやかな苦味でとてもバランスが良い。
アルコール度数は4.8%。

ダブル、トリプルと同じ酵母が使用されています。

ウェストマール・エクストラは初期の頃から醸造されていましたが、これまで流通ルートには乗らないビールでした。
黄色い王冠で、かつてはラベルもありませんでしたが、現在は写真のようなラベルが貼られています。

仕込みは年に1~2回のみ。
主に修道士が飲むために(一日1本のみ)、また修道院を訪問したゲスト等に提供されていました。
※ロシュフォール6(サン=レミ修道院)や、かつてのシメイ・ドレー(スクールモン修道院)と同じ位置付けのビールですね。

週に1回のみ(金曜日)、修道院のゲート前で一般にも販売されていました。

このたび、そのウェストマール・エクストラが一般販売されることになりました。
Paters brengen met Westmalle Extra eigen tafelbier op de markt: “Onze manier om horeca extra te ondersteunen bij heropening”

その理由として、アルコール度数の低いビールの需要が高まっていること、そして、COVID-19によって深刻な経済的影響を受けている、飲料業界、レストランに修道院として特別な何かを提供したい、という思いがあります。

ウェストマール修道院では、現在、年間約1万3千キロリットルのビールが生産されています。
そのうちウェストマール・エクストラの生産量は、約2%の200キロリットル。
当面は、330mlボトルのみの販売になるとのこと。

日本で飲むことができるようになる日もそう遠くないかも知れません。

※上記ニュースサイトには新しいラベルの画像があります。
以前とは違って、水色のラベルに変更されるようです。

ウェストマール修道院の情報はこちら

トラピストビールとは

ベルギービールJapan サポートチームの小林です。
いつもありがとうございます!

非売品オリジナルグッズプレゼントキャンペーン開催します!

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今月は、デュベルの非売品グッズをプレゼント!

限定10セット★バーマット プレゼント(デュベル5本×トリプルホップ5本)

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全50セット限定です!なくなり次第終了。
お早目にご利用下さいませ。

4月4日(日)のイースターに、ちょっと大人のスイーツでカフェ気分を味わいませんか?

★★スパイスクッキーとベルギービールのマリアージュセット
スパイスクッキーとベルギービール

ショコラバトン、シュトレンを造ってくださっているお店とコラボして、新しい商品が完成しました!

シナモンやナツメグなどスパイスが入った、バターたっぷりのお菓子が、スパイスクッキー。
スパイスクッキー
ベルギー伝統のビスケット、スペキュロスのレシピを参考に、ベルギービールとのペアリング考慮し、焼いていただきました。

スペキュロスよりも、甘さ控えめ。
ナツメグやクミンなどのピリッとしたスパイス感と、バターの風味が、ベルギービールとみごとにマッチします。

イースターエッグやうさぎといった、イースターのモチーフをかたどった、見た目はかわいらしいクッキーですが、味は大人向けです。

「イースター」とは??
イースターは、イエス・キリストの「復活祭」。 十字架にかけられて処刑されたイエス・キリストが3日目に復活したことを記念するお祝い。

キリスト教においてはクリスマスと並ぶ重要な行事です。 春分の日以降、最初の満月の日の次に来る日曜日にお祝いされます。

ベルギーでも、イースターが近づいてくると、イースターエッグやうさぎをモチーフにしたお菓子などをよく見かけます。

初回・お試し販売のため、15セット限定です。
受け付けは、3月26日(金)までです。

ぜひ、お試しください!

★★スパイスクッキーとベルギービールのマリアージュセット・・・3,600円(税別)

ご無沙汰しております。
株式会社木屋の三輪です。

いつもご利用いただいているお客様には大変心苦しい限りでございますが、2021年4月1日ご注文分より、取扱商品の一部について価格を改定させていただくことになりました。

理由として、直輸入商品の毎年の値上げ、仕入れ商品の値上げ、運賃や梱包資材等流通コストの増加、新型コロナウィルスの影響による輸入経費(主に海上運賃)の大幅増加に伴い、現行の小売価格を維持することが困難な状況となったことがあります。

これまでも、まとめて発注することなどによりコストの削減を行い、価格の据え置きに尽力して参りましたが、力及ばず、やむなく価格改訂させていただく運びとなりました。

現在、日本に輸入されている海外ビールの中で、ベルギービールは第5位の輸入量です。
しかしながら、その輸入量は2013年頃をピークに年々減少し続けており、アジアの中だけで見ても、お隣の韓国の4分の1ほどの輸入量にまでなっています。

そのような中、輸入元様の中にはやむなく取り扱い銘柄を絞り込んだり、ベルギービールの大きな魅力の一つである専用グラスの輸入中止を決断されたところもあり、国内で以前のようにベルギービールを楽しむこと自体が徐々に難しい状況となりつつあります。

弊社がベルギービールを取り扱い始めてすでに25年以上が経過しておりますが、自分たちの力不足を痛感している次第です。

このような状況の中、今後もこれまで同様に皆さまに商品をお届けできるよう、何とぞご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

これからも専門店として末永くベルギービールの魅力を発信し続けていくとともに、より一層のサービス向上に努めてまいりたいと考えております。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

価格改定後の価格は、こちらからご覧いただけます。

いつもベルギービールJapanをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

この度、2021年4月1日より、価格改定を行います。
お客様方にはご不便をおかけし、誠に申し訳ございませんが、何卒ご理解頂けますと幸いです。

価格改定に関する、弊社代表からのコメントはこちらからお読みいただけます。

4月1日(木)午前9時以降のご注文は、新価格へと変更になります。

▼下記が新価格です。※すべて税抜き表示です。

ウェストマール・ダブル 330ml 600円

オード グーズ・ティルカン・ア ランシエンヌ 375ml 1300円
オード クエッチ・ティルカン・ア ランシエンヌ 375ml 1800円

キャスティール・バリスタ チョコレート 330ml 750円
クー・デ・シャルル・ブラウン 750ml 1800円
グーデン カロルス・クラシック 330ml 600円

シメイ・グランド リザーヴ 750ml 1500円
シメイ・ゴールド 330ml 550円
シメイ・サンク サン 750ml 1400円
シメイ・プルミエール 750ml 1300円
シメイ・ホワイト(トリプル) 330ml 550円
シメイ・レッド 330ml 520円
シメイ・グランド リザーヴ・マグナム 1500ml 3200円

ジョリー・ポピー330ml  580円
ジョリー・ポピーグラス 1200円

ストラッフェ・ヘンドリック グラス 1000円
ブルッグス・ゾット グラス 330ml 1000円

ダムネーション330ml 700円
カサンドラ330ml 700円
1902 330ml 730円
ズワーリュウ330ml 700円
トロンク330ml 800円
リーヴ330ml 680円
コーデックス330ml 680円
サーンドレ330ml  750円
シフォン グラス330ml 1000円
シフォンTシャツ 3500円

セゾン デュポン 330ml 560円
セゾン デュポン 750ml 1400円
セルベシア 750ml 1600円

デュベル 750ml 1400円
デュベル・トリプルホップ 330ml 600円

デリリュウムNEWグラス 1500円
デリリュウム 15cl  NEW グラス 1500円
デリリュウム・レディース グラス 1000円

ドゥリー・フォンティネン・オード・グーズ 750m 2500円
ドゥリー・フォンティネン・キュベ・アルマン&ガストン 375ml 2000円
ドゥリー・フォンティネン・キュベ・アルマン&ガストン 750ml 3400円

トリプル・カルメリート 330ml 600円

パーテル・リーヴェン ヴィット330ml 490円
パーテル・リーヴェン ブロンド330ml 540円
パーテル リーヴェン グラス 1,000円

ビーケン330ml 630円
ビーケン750ml 1900円
サンタビー330ml  650円
ビーケン グラス 1,000円

ブルーセムクリーク330ml  700円
ブルーセムビンク330ml 650円
ビンクIPA330ml 730円
ビンク グラス 800円

ブーン・グーズ 375ml 850円

ブファロ ベルジャンスタウト330ml 640円
ブファロ ベルジャンビター330ml  640円
ブファロ グランクリュ750ml  3000円
ブファロ グラス33cl 1000円

ポペリングス・ホメルビール 750ml 1500円

ボン ヴー 375ml 1100円
ボン ヴー 750ml 1700円

リーフマンス 250ml 400円

ルプルス・オペラ330ml 600円
ルプルス・オルガニクス330ml 630円
ルプルス・オルガニクス750ml  1500円
ルプルス・ピルス330ml 550円
ルプルス・ブランシェ330ml 550円
ルプルス・ブリューン750ml 1500円
ルプルス・フルクタス330ml  630円
ルプルス・ブロンド330ml 600円
ルプルス・ブロンド750ml  1500円
ルプルス・マグナム1500ml 4200円
ルプルス・サルマナザール9000ml 50000円

ルプルス・グラス 1200円
ルプルス・オペラグラス 1200円
ルプルス・パイントグラス 1000円
ルプルス 15cl グラス 1200円
ルプルス・3Lグラス 12000円

ローデンバッハ・クラシック 250ml 500円

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