社長日記

弊社が2018年より直輸入しておりました、シフォン醸造所(Siphon Brweing)が閉鎖されることになりました。

COVID-19による醸造、販売への影響、原材料費の高騰などにより、経営を続けることが困難になったことが理由です。
一時はレストラン・シフォンの敷地内にあった醸造所を移転し、ブルージュ市内で再起を図る予定でしたがそれも叶いませんでした。
今春輸入したばかりの、スワンソング(Swan Song)が意味する通り、最後の作品となってしまいました。

醸造所がスタートして5年、弊社と取引が始まって約3年半という短い期間でしたが、何度か醸造所に足を運び、一緒にビールを飲みながら今後の展望などについていろいろな話をしてきました。
他醸造所とのコラボレーションなど、さまざまな企画でも私たちを楽しませてくれました。
COVID-19の影響を強く受けていることは聞いていましたが、醸造所の閉鎖に至るまでとは思わず、本当に残念な思いです。

シフォン醸造所(Siphon Brweing)で作られたビールは、現在の在庫が無くなり次第、終売となります。

これまでご愛飲くださった皆さま、THE NOBLE GAS PROJECTなどイベントでお世話になったお店の皆さま、本当にどうもありがとうございました。

シフォン醸造所の商品

これまでのシフォン醸造所(Siphon Brweing)に関する記事

2022年5月14日、アメリカ大陸唯一のトラピストビール、スペンサー(Spencer)を醸造するセント・ジョセフ修道院(St. Joseph’s Abbey)が、醸造所を閉鎖することを発表しました。

スペンサー醸造所(Spencer Brewery)は、2013年12月10日にATPラベル認証を受けて以来、クラシックアイテム以外にも、IPA、スタウト、ラガー、フルーツビールなど、さまざまなアイテムを醸造してきたことでも知られていました。

スペンサー醸造所からの発表は下記のとおりです。

After more than a year of consultation and reflection, the monks of St. Joseph’s Abbey have come to the sad conclusion that brewing is not a viable industry for us and that it is time to close the Spencer Brewery.
We want to thank all our customers for their support and encouragement over the years.
Our beer will be available in our regular retail outlets while supplies last.
Please keep us in your prayers.

一年以上に亘る協議、検討の結果、醸造は実行可能なビジネスとして継続することができず、醸造所を閉鎖する、とのことです。

スペンサー醸造所
https://www.belgianbeer.co.jp/ct/brewery/spencer/

これで、Trappist®の商標を使用してビールを販売しているトラピスト修道院は世界で13ヶ所になります。
そのうち ”Authentic Trappist Product” のロゴマークを付けることができるビールを醸造している修道院は10ヶ所となります。

Authentic Trappist Product(ATPラベル)について
International Trappist Associationでは、以下の3つの厳格な基準を満たしている商品についてのみATPラベルの使用を許可しています。(ビールの場合)

・トラピスト会修道院の敷地内にある醸造所内で醸造されること。
・醸造はトラピスト会修道士の監督の下で行われること。
・ビールによる収益は、修道士の生活のため、そして修道院の維持のために割り当てられること。
残った場合は慈善団体や、困った人々に与えること。

トラピストビール(Authentic Trappist Product)の生産者は下記の10ヶ所です。(2022年5月現在)

●ベルギー
Westmalle(ウェストマール:ウェストマール修道院)
Rochefort(ロシュフォール:サン・レミ修道院)
Orval(オルヴァル:オルヴァル修道院)
Chimay(シメイ:スクールモン修道院)
Westvleteren(ウェストフレテレン:シント・シクステュス修道院)

●オランダ
La Trappe(ラ・トラップ:コニングスホーヴェン修道院)
Zundert(ズンデルト:マリア・トゥーフラフトゥ修道院)

●オーストリア
Engelszell(エンゲルスツェル:エンゲルスツェル修道院)

●イタリア
Tre Fontane(トレ・フォンターネ:トレ・フォンターネ修道院)

●イギリス
Tynt Meadow(ティント・メドウ:マウント・セイント・バーナード修道院)

※ATPラベルを付けた商品は、ビール以外にもチーズ、クッキー、チョコレート、はちみつ、リキュールなどがあります。

◯日本で購入できる、トラピストビール
https://www.belgianbeer.co.jp/products/list.php?category_id=38

店主のベルギー訪問記 14回目 2012年3月編 公開しました。
https://www.belgianbeer.co.jp/ct/travel/tour14/
今や皆さまご存知の内容も多いと思いますが、10年前ということでお許しください。

取引先醸造所の他、デュポン醸造所、デュベル・モルトガット社、グーズリー・ティルカン、ヘット・アンケル醸造所、カンティヨン醸造所を訪問。
フランスのモン・デ・キャッツ修道院、チェコのピルスナー・ウルケル醸造所も訪問してきました。

10年以上前の内容で恐縮ですが、「店主のベルギー訪問記 13回目 2011年4月編」公開しました。
https://www.belgianbeer.co.jp/ct/travel/tour13/

ノートルダム・ド・スクールモン修道院
ノートルダム・ド・スクールモン修道院

2021年11月1日、トラピストビール シメイ(スクールモン修道院)の5番目のレギュラー商品となる、シメイ・グリーンが発売されます。
レギュラー商品としては、シメイ・ゴールドの発売以来、8年ぶりになります。

このビールは、1862年の醸造開始から150年を記念して2012年に限定発売された、Chimay Spéciale Cent Cinquante(スペシャル ソン サンコント)として販売されたもので、ラベルの右下には「150」の数字が入っています。

輸入元様のコメント

フルーティーながら力強い味わいが特徴の「シメイグリーン」は、まろやかで丸みを帯びたボディーとスモーキーでスパイシーな味わいがあるシメイビールの持ち味に、ミントやベルガモット、ライム、ユーカリを思わせる香り、さらにはローズマリーやクローブ、ジンジャーなどのスパイシーさが加わった飲みごたえ抜群のビールです。
白身魚や鶏肉など、さっぱりとした味わいの料理やスパイスの効いた料理とも相性抜群で、食事とともにじっくりと味わっていただきたい洗練されたビールです。

シメイ・グリーン 330ml
シメイ・グリーン 330ml

弊社でもさっそくサンプルをティスティングしてみました。

シメイ・グリーン 330ml

やや霞がかったゴールド。
とても細かい泡立ちで泡持ちも良い。

バナナ、白桃、洋梨、青りんごのようなフルーティーな香り、オレンジのような柑橘の香り、パンのような香ばしい香り、干し草、はちみつのような香り、コショーのようなスパイス、そしてハーブの香り等、温度が上がるにつれて複雑な香りを感じます。

口に含むとまずとても強い炭酸を感じます。
次にナッツのような香ばしさ、スパイシーなフレーバーをともなった、甘味、苦味、酸味のバランス良い味わいが豊かに広がります。
常にボリュームたっぷりの強いアルコールを感じるフルボディな味わい。
余韻にも強いアルコール感、こなれた苦味が長く続きます。

全体的にとても強いアルコール感を感じられる1本です。

 


修道院内の中庭から見る醸造所


醸造所内部

左が仕込釜、右が煮沸釜。
まず、原料の大麦麦芽と小麦を、修道院用地内にある二つの井戸からくみ上げた水と一緒に仕込み釜に入れて約1時間半仕込む。
ここでは一日25kl×4回仕込を行っており、1週間の最大の仕込み回数は20回。
以前あった壁が取り払われ、タンクも、きれいに塗装が施されていた。
煮沸釜の容量は25kl。行程の始めと終わりにホップを加える。


地下にある熟成庫

スクールモン修道院の情報はこちら

シメイの商品一覧

トラピスト・ビールとは

トラピストビール(Authentic Trappist Product)世界で11ヶ所に


昭和13年当時の酒類小売業免許証

三十郎の代(1911-1993)

三十郎という名前は、先祖に三十郎というとても優秀な人がいたことから名付けられた、と聞いていましたが、今回の調査で実際に大叔父(重蔵の弟)に同名の三十郎がいたことがわかりました。

三十郎の代では、酒類、塩の取り扱いを開始。
酒類小売業免許及び、卸売業免許も取得。
1970年9月10日に、株式会社木屋として法人化。

この頃の木屋は、家庭用、業務用、法人、官公庁を主な得意先としていました。
店舗では味噌の量り売り、立呑も行われていました。


昭和16年当時の木屋平面図(当時の従業員の方が描いてくださったもの)


昭和16年当時の木屋正面と店内に入ったところ(当時の従業員の方が描いてくださったもの)


1970年代頃の木屋(左から2番目は三十郎、一番右は一記)

鑛一の代(1938-)

酒類卸会社勤務後、木屋入社。
その後まもなく、株式会社ラッキーストアー設立。
当時はまだめずらしかった、酒類を取り扱うスーパーマーケット「スーパー ラッキーストアー」を愛知県西春日井郡清洲町(現在の清須市)に開店。
木屋の支店として酒類の販売を行っていました。

この頃の木屋は、業務用、法人、官公庁を主な得意先としていました。
日本名門酒会加盟。

1980年代には店舗の改装を行いました。


平成29年当時閉店前の旧木屋

一記の代(1967-)

清酒醸造メーカー勤務後、木屋入社。
日本酒、ワイン専門店を経て、ベルギービールの取り扱いを開始。
1995年、インターネットでのビール販売を開始。
2004年、ベルギービールJapanオープン。
2006年、ベルギーからの直接輸入開始。

2017年10月、現在の場所(中区丸の内3-8-2)に本社移転。
BEER BOUTIQUE KIYA開店。

京町通

京町筋の七間町より伊勢町までの間をいう。
清須越の町で、清須当時の町名を、そのまま用いた。
清須へ多くの商人が移り住み、呉服物、細物、太物類を商っていたので、京町と名付けられた。

名古屋の京町は、清須の呉服物の商店が並ぶ町から、大坂の道修町に匹敵する薬種商の町へと変貌していった。
代表的な薬種商としては、長崎から直接唐物の薬を仕入れ、販売していた生田治郎八。
今川義元の家に代々伝わる今川赤龍丹を販売する日野屋六左衛門。価銀四匁五分の山帰来という薬を売っていた山口利兵衛がいた。

現在も京町で商売をしている中北薬品の祖、井筒屋中北伊助が、この町に店をかまえたのは寛政年間(一七八九?一八〇一)のことだ。
「好事魔多し」安政二年(一八五五)二月二十五日の夜、井筒屋の伊助方の風呂場より出火し、京町全域を燃え尽くしてしまった。
井筒屋だけでも八千両の薬が灰になった。
井筒屋は謝罪の意をこめて、毎月二十五日は風呂をたかないという。
現在に至るも中北家では、この家憲を護っている。

安政二年の大火をきっかけとして、京町は、さらに薬種商の町として発展していった。
明治二十年には、漢方薬にかわり、初めて船来薬(洋薬)が京町で販売されるようになった。
大正初期には薬祖神社をつくり、四十軒の問屋の守り神とした。

町内には薬種商の他、町医の蘇森子桂が住んでいた。
子桂は河村秀根(著名な国文学者で尾張藩士)に数十両の借財をしていた。借金を返すあてもない。
そこで子桂は秀根が幕府討伐の密談を重ね、反逆を企てていると幕府老中松平右近将監の用人に密告した。
負債を免れるとともに、賞金を得ようとして企てた事件だ。
幕府が厳しく糾問した結果、誣告の事実が露見した。
子桂は、江戸市中を引きまわしの上、獄門に処せられた。安永七年(一七七八)のことだ。

京町は明治五年、両替町に併合された。
明治十一年には再び京町の町名は復活した。

昭和四十一年、住居表示により丸の内三丁目となる。

旧町名の概要と由来 / 旧町名を復活させ、名古屋を元気にしよう!HPより

名古屋への進出


明治38年当時の大福帳(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)


大福帳の内容(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

重蔵の代(1851-1898)

1891年(明治24年)、現社長の高祖父・重蔵(当時40歳)とその長男・傳十郎(当時18歳)親子が味噌醤油の販路拡大のため名古屋に進出。
※実際にはもう少し早かった、という説もあります。

岐阜での味噌醤油醸造は傳十郎の弟たちが担いました。

口伝で、当初は現在の松坂屋名古屋店のあたりにいたと伝えられていますが、今回調査した戸籍にも「名古屋市南大津町134番戸」という記載があり、実際に住んで商売をしていたことがわかっています。

重蔵は1898年(明治31年)4月1日、47歳でこの地にて亡くなり、同年5月24日に長男傳十郎が家督を相続しました。

傳十郎の代(1873-1925)

傳十郎は1907年(明治40年)1月14日に結婚。
1911年(明治44年)9月29日に長男、三十郎が誕生。
傳十郎は、1925年(大正14年)11月25日、52歳で中区鶴舞町にて亡くなりました。

重蔵から傳十郎の時代は、岐阜で製造した味噌醤油の販路を拡大しました。
木屋は名古屋出店後、南大津町(現在の中区栄三丁目)、鶴舞町(現在の中区千代田または昭和区)、久屋町(現在の東区泉)を経て、中市場町(現在の中区丸の内)に来たようです。

中市場町

旧木屋があった場所。(現在の中区丸の内三丁目)
京町筋の大津町通と久屋町通の間の町。

清洲越しの町であり、清洲時代には北市場、中市場、西市場という市がありました。
中市場では、川魚・塩・野菜類が売られていました。
1609年(慶長14年)の清洲越で名古屋に移り、旧名を用いて中市場となりました。

1966年(昭和41年)3月30日、住居表示実施に伴い、中区丸の内三丁目に編入。この時点で中区中市場町全域が消滅。
1976年(昭和51年)1月18日、東区中市場町3丁目の全域が泉一丁目に編入され廃止。


明治四十五年略暦(木屋丸の内ビル2階ライブラリに展示しています)

明治45年は、すでに重蔵が亡くなっているにも関わらず、「木屋重蔵」とあります。
同様に亡くなった後も重蔵宛に届いている葉書(下)が残されていますので、傳十郎も父親の名を継ぐ形で商売上は「重蔵」を名乗っていた時期があると思われます。


明治30年代頃に重蔵宛に送られた葉書

〈翻刻〉
名古屋
久屋町三丁目
味噌溜り屋
三輪重造様
集人々 ※家人、従業員等「三輪家に集まっている人々」の意か。
岐阜市笹土居町
山三 糀屋 西村

 

続き→木屋の歴史④ 現代~酒類の取扱開始

 

味噌醤油醸造業

木屋は郷宿業の傍ら、味噌醤油醸造業を開始したのですが、正確な開始時期についてはわかっていません。
口伝では、江戸時代後期に開始したと伝えられています。

その後、明治・大正・昭和時代にかけて醸造は続いていましたが、太平洋戦争(1941-1945)によって停止。
1950年頃はまだ味噌醤油蔵が残っていたそうです。

その後、「木屋」という溜り醤油のブランドのひとつは愛知県のイゲヒチ醤油さん(現在は廃業)に引き継がれ、木屋のプライベート・ブランドとして2000年頃まで製造が続けられました。

傳右衛門という名

「木屋」が史料上に登場する最も古い記述に「伝右衛門」が登場します。
人別帳等の古文書の調査により、その後も「傳右衛門」という名前が代々継がれていたことがわかっています。
※「傳」は、「伝」の旧字体

現在、木屋では「木屋傳右衛門」という清酒を販売していますが、その名前はこの傳右衛門にちなんだものです。
※清酒「木屋傳右衛門」は愛知県津島市の長珍酒造株式会社様で造っていただいています。

 

伝右衛門(?-1806)

笠松村上本町にて郷宿を営み、1811年(文化8年)、訴訟文書に仲裁人として名が残る。


※写真は、1818年(文化15年)生まれの傳右衛門(実名は高遠)が、父・傳右衛門のために建てた墓。
父・傳右衛門は囲碁が好きな人だったため、墓石も碁盤を模したものにした、と伝えられています。

傳右衛門(1787-?)

1787年(天明7年)生まれ。
1829年(文政12年)、1837年(天保8年正月)の人別帳に登場する傳右衛門。

傳右衛門(1818-?)

1818年(文化15年)生まれ。
1842年(天保13年)の人別帳に登場する傳右衛門。前名は傳十郎。実名は高遠。重蔵の父。

 

■人別帳・文政12年(1829)

高一石一斗四合四勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  43才(=1787年生まれ)

女房   いち    33才(=1797年生まれ)

妹   いと    22才(=1808年生まれ)
(この記載は間違いか)

倅   傳十郎   12才(=1818年生まれ)

倅   市十郎   10才(=1820年生まれ)

倅   八十郎   7才(=1823年生まれ)

倅   三十郎   4才(=1826年生まれ)

■人別帳・天保8年正月(1837)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  51才(=1787年生まれ)

女房   いち    41才(=1797年生まれ)

倅    傳十郎   20才(=1818年生まれ)

嫁    くの    18才(=1820年生まれ)

倅    八十郎   15才(=1823年生まれ)

倅    三十郎   12才(=1826年生まれ)

嫁    しやう(長十郎の嫁か? 去九月死去と)

倅    長十郎(去九月死去と)

■人別帳・天保13年(1842)

高一石三斗五升六合八勺

盛泉寺旦那   傳右衛門  25才(=1818年生まれ)

女房   くの    23才(=1820年生まれ)

弟    八十郎   20才(=1823年生まれ)

弟    三十郎   17才(=1826年生まれ)

母    いち    46才(=1797年生まれ)

 

人別帳には、その家々の持ち高(田畑の収穫量)が記載されており、当家は一石以上ありました。
当時は郷宿(及び醸造業)を営んでいたので農業専業ではありませんでしたが、他家より多い石高を持っていることから、当時は裕福だったと思われます。

続き→木屋の歴史③ 明治時代~名古屋への進出

2017年11月に本社を移転した機会に、以前からやっておきたかったことの一つである、木屋の歴史について調べることにしました。
その際、お願いするならこの方、と心に決めていた、埼玉県所沢市の行政書士 丸山学先生に依頼しました。
丸山先生は家系図作成を専門に行なっておられ、多くのメディア出演、講演実績の他、著書も出版されています。

調査は2018年4月から約1年半かけて本当に丁寧に行っていただきました。
その中で木屋の歴史に関する部分を書いていきたいと思います。


笠松陣屋跡

木屋のルーツ

木屋は現在、愛知県名古屋市中区丸の内にありますが、そのルーツは現在の岐阜県羽島郡笠松町にあります。

菩提寺の過去帳等で江戸時代前中期のものが現存していれば、いつから「木屋」の屋号が使われるようになったかが分かるのですが、1891年(明治24年)に発生した濃尾地震により消失しており、残念ながら確認することはできませんでした。

三輪家には、江戸時代から「木屋(きや)」の屋号を称し、美濃国(みののくに)羽栗郡笠松村(現岐阜県羽島郡笠松町)にて郷宿(ごうやど)を営んだ後、江戸時代後期には醤油醸造業を開始。
1891年(明治24年)に重蔵・傳十郎が販売部門を名古屋に出店した、との口伝があります。
※実際には名古屋に出店したのはもう少し早かった、という説もあります。

郷宿の時代

木屋が営んでいた郷宿(ごうやど)は、公事訴訟や裁判のために地方から来た者を宿泊させた江戸時代の宿屋のことで、公事宿公事人宿・出入宿・御用宿とも呼ばれていました。
藩庁・代官所在地などにある宿なのですが、通常の旅人を宿泊させる宿ではなく、藩庁や代官所に公用のある地方の庄屋等を主な顧客としていました。
また、訴訟を起こす者の宿でもありました。
そのため、訴訟を受け付ける藩庁や代官所の傍に所在していました。

そして、単に訴訟の用事できた人々を泊めるだけでなく「訴状の作成」「訴訟手続の代行」「弁護人」等の仕事も引き受けていました。
現代でいうところの弁護士、司法書士といった仕事になります。


笠松陣屋・県庁の跡

笠松は幕府直轄領でしたので、代官(郡代)が置かれ、その代官の役所を陣屋(じんや)と呼びました。
笠松陣屋は現在の笠松県庁跡にありました。
木屋があった場所はそのすぐ傍です。

その笠松陣屋と一対となっているのが郷宿です。
陣屋が出来れば必ずそこに郷宿が必要となるわけです。

『笠松町史』には、岐阜落城の翌年、1601年(慶長6年)に幕府からの使いによって役所が作られて以降、郷宿も作られるようになったとあります。
美濃郡代の陣屋は当初可児郡徳野にありましたが、1662年(寛文2年)に陣屋を笠松に移転しています。

この時に笠町陣屋の周辺に郷宿が生まれたことは間違いないことから、1662年(寛文2年)または、その少し後に「木屋」の屋号で郷宿を始めたと考えられます。

郷宿の仕事

木屋では、毎日のように笠松陣屋に公用で出向いてきた美濃国各村の庄屋や、訴訟の用事で来た人々を宿泊させ、特に訴訟人のために、手続きの代行、弁護といった仕事をしていました。

『笠松町史 上巻』の472~475ページにかけて「田代の紋所争論」と題して、1811年(文化8年)に田代村で起きた争論の顛末が記述されています。
この時の当家の祖先である「郷宿 伝右衛門」は、仲裁人といった役割で署名をしています。
※これが「木屋」が史料上に登場する最も古い記述になります。


『笠松町史 上巻』

その内容はこうです。
田代村の小前下百姓である忠吉と儀蔵、さらに中分百姓の半兵衛という三人が従来使用していた衣類の紋所「三ツ亀甲」を捨て、新たに頭百姓だけが使用できる「釘貫」の紋を使用しはじめたのが事の発端。

そうした身分違いの紋を使用することは村のしきたりを乱すものだとして、庄屋をはじめ村役人が笠松郡代役所(笠松陣屋)へ訴え出ました。
吟味の結果として、半兵衛は検地縄請け(村の開拓当時からの高い家柄)の子孫であり、実は中分百姓ではなく頭百姓に当ること、忠吉と儀蔵についても元をたどれば、その半兵衛の分家であることが分かりました。

元をたどれば村内でも高い家柄だということが確認されたのです。
ただし、同時に現在は検地帳にも名を載せていない下百姓であるとも断じられました。
とはいえ、何の紋を付けても差し支えないであろうということを双方へ説得させ、結局和解することになります。
この仲裁に入っていたのが笠松の郷宿の二名であり、そのうちの一人が伝右衛門でした。

木屋は、こうした郷宿としての業務を行いながら、やがて醤油醸造業も併せて行うようになっていきました。

続き→木屋の歴史② 江戸時代後期~味噌醤油醸造業の時代

ウェストマール修道院のトラピストビールは、ダブル、トリプルが知られていますが、実は以前からもう1種類のビールが造られていました。

ウェストマール・エクストラ330ml
(写真は2018年2月に訪問したときのもの)

オレンジがかったゴールド。
レモンのような柑橘系のフルーツの香り、ホップのさわやかな香り。
トリプルと味の方向性は似ていますが、とても軽く、さわやかな苦味でとてもバランスが良い。
アルコール度数は4.8%。

ダブル、トリプルと同じ酵母が使用されています。

ウェストマール・エクストラは初期の頃から醸造されていましたが、これまで流通ルートには乗らないビールでした。
黄色い王冠で、かつてはラベルもありませんでしたが、現在は写真のようなラベルが貼られています。

仕込みは年に1~2回のみ。
主に修道士が飲むために(一日1本のみ)、また修道院を訪問したゲスト等に提供されていました。
※ロシュフォール6(サン=レミ修道院)や、かつてのシメイ・ドレー(スクールモン修道院)と同じ位置付けのビールですね。

週に1回のみ(金曜日)、修道院のゲート前で一般にも販売されていました。

このたび、そのウェストマール・エクストラが一般販売されることになりました。
Paters brengen met Westmalle Extra eigen tafelbier op de markt: “Onze manier om horeca extra te ondersteunen bij heropening”

その理由として、アルコール度数の低いビールの需要が高まっていること、そして、COVID-19によって深刻な経済的影響を受けている、飲料業界、レストランに修道院として特別な何かを提供したい、という思いがあります。

ウェストマール修道院では、現在、年間約1万3千キロリットルのビールが生産されています。
そのうちウェストマール・エクストラの生産量は、約2%の200キロリットル。
当面は、330mlボトルのみの販売になるとのこと。

日本で飲むことができるようになる日もそう遠くないかも知れません。

※上記ニュースサイトには新しいラベルの画像があります。
以前とは違って、水色のラベルに変更されるようです。

ウェストマール修道院の情報はこちら

トラピストビールとは

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