2001.11.08
6日目その1:ダシュッフ醸造所へ
今日はアルデンヌ地方の醸造所訪問の予定だ。ホテルを出てすぐにアウトバーンに乗る。10時過ぎにリエージュを過ぎたあたりから景色は一変、畑や牧草地帯が広がる美しい風景だ。2時間ほどかかって10時30分頃、今日一番目の訪問地ダシュッフ醸造所に到着した。
社長室で社長のボウラルツ氏が出迎えてくれた。フランドル出身の彼はとても気さくなおじさんだった。もともとビール造りの趣味が高じて醸造所まで造ってしまったのだが、ラジコンも相当好きらしくラジコンの絵の付いた名刺までいただいた。
瓶詰工場までビールを運ぶ自慢のトラック
ここがコントロール・ルーム
ブルワーのジョセフ氏が忙しく働く中、醸造所内を案内してもらった。
現在社員は16名、来年には19名になるそうだ。仕込みは1日2回、1回で7000リットル、近いうちに別に煮沸釜を作り1日4回の仕込みに増やすとの事。
以前オルヴァルでつかわれていた麦芽粉砕機
ブルワーのジョセフ氏
途中、麦芽粉砕機を見せてもらった。これは1930年代の古いもので、なんと元々オルヴァルで使われていたものらしい。併設の計量器は農家で鶏のえさを測るものを使っていた。既成のものは高いからだそうだ。
次に別棟の発酵へ。仕込みの棟と発酵の棟はパイプでつながれている。発酵タンクは18キロリットルのものが6本、40キロリットルのものが4本(新しい)あった。新しいものは今年の7月に設置したばかり。以前は8℃までしか冷却できなかったが、これで1℃までの冷却が可能になったそうだ。発酵は最高26℃、熟成は2℃で行われる。
再び仕込み棟に戻ってかつての瓶詰室を見学。途中でいくつもボウラルツ氏の手作りの箇所があった。なぜ手作りが多いのか聞いてみると、ここはすごい田舎のため何か壊れたときに業者を呼ぶだけでも大変なので何でも自分でやってみるとの答えだった。
ボウラルツ氏手作りのかつての瓶詰器
その後車で5㎞ほど離れた瓶詰工場へ。ここは田舎ということもあるだろうがかなり大きい。ここではボウラルツ氏の義理のお姉さんをはじめ4人の人が働いている。ここにある瓶詰器はなんと1992年~96年までシメイで使われていたものだった。先ほどの麦芽粉砕機もそうだったが、同じワロン地区でこういった交流があることがわかる。
工場に入ると箱、パレットが皆青いのに気が付いた。そういえばトラックも青だった。なぜか聞いてみた。当初ポンプの色を塗るときに義理の父親の所からペンキを探してきて青に塗った。奥さんと結婚して2年目にその義理の父親が亡くなってしまったので、思い出を残すために皆青く塗ることを決心したのだという。ボウラルツ氏の温かい人柄をここでも垣間見ることができた。
ここでボウラルツ氏に色々質問してみた。
まずキャラクターの妖精について。読んだ本とは少し違っていた。1982年にこのあたりの村が強風で壊されたことがあった。そのためチャリティがあってそのときに絵を購入した。それが元々この地方のシンボルでもあった妖精の絵だったらしい。ちょうどビールのデザインを探していたのでこの絵に決めたそうだ。
次になぜカナダへの輸出が多いのか。
開業当初このアルデンヌ地方にカナダから二人の旅行者がやってきた。最初オルヴァルに行ったのだが閉まっていたのでダシュッフにやってきた。二人はここのビールがとても気に入った。二人のうち一人はビールのプロモーターだったため、さっそくカナダに輸出が開始され今でもケベック州を中心によく売れているのだそうだ。
大瓶ばかりでなぜ小瓶がないのか。
ここで使う瓶はルクセンブルクのスパークリングワインの瓶をリサイクルして使っている。その瓶のラインにすでに大きな投資をしているので小瓶は使えないらしい。またシュッフのビールは家族皆で楽しんで欲しいビールなので大瓶で買って欲しいとの事だった。
最初に使っていた煮沸釜、じつは洗濯桶だった
その後車で戻って併設のカフェでごちそうになることに。このカフェは200年前の農家の建物を改築している。入り口にはボウラルツ氏がかつて煮沸釜として使っていた洗濯桶が植木鉢に変わっていた。
ここで2種類のビールとこの地方独特の料理をごちそうになった。ボウラルツ氏は本当に話が好きな方で、ずっと話をして楽しかった。最後に醸造所20周年を記念して造られたと言うビールの蒸留酒 Esprit d’Achouffe”2002″ をいただいてずいぶん酔ってしまった。
とても名残惜しかったがボウラルツ氏にお礼を言って次の目的地に向かった。
大旦那、ボウラルツ氏、店主