2008.03.28
9日目:ヴァン・デン・ボッシュ醸造所ほか
■ヴァン・デン・ボッシュ醸造所へ
今日は出国することもあり、昨日と同じ午前7時スタート。
道路もスムーズに移動することができて予定通り8時にヴァン・デン・ボッシュ醸造所に到着した。
醸造所はゲントとブリュッセルの中間地点よりやや東側、デ・ライク醸造所のあるヘルゼールの自治体、シント・リーヴェンス・エッセにある。
1800年代の終わりにアーサー・ヴァン・デン・ボッシュが農場を購入。
1897年、彼はその場所に醸造所を設立し、ヴァン・デン・ボッシュ醸造所と名づけた。
現在でも醸造所のある場所には当時の建物が残されている。
アールデコ建築のすばらしいもの。
1925年にアーサーが亡くなった後も、彼の妻とウィリー、マルクの二人の息子は醸造所をどんどん発展させていった。
ウィリーはチョコレートメーカーとして有名なガルボーの設立者の娘。
その後マルクの息子イグナスが3代目となり、醸造所を近代化させた。
現当主はイグナスの長男ブルーノで主に営業活動を担当、弟のエマニュエルが醸造を担当、そして先代夫婦で運営している家族経営の醸造所。
中に入るとさっそく社長のブルーノ氏が出迎えてくれた。
さっそく事務所の中でミーティングを開始したが、この醸造所には興味深い物語が満載で聞いているだけでも楽しくなってきてしまう。
ミーティングの後、さっそく醸造所内部の見学。
かなり古い設備が現在でも使われている。
まず屋根裏部屋から。
ここには原料が保管されている。
麦芽を粉砕するミル。
仕込み釜。
ここでは毎週金曜日に仕込みを行っており、その都度違うタイプのビールを仕込んでいる。
発酵タンクが3本。
こちらはケグ詰め用のタンク。
瓶詰めライン。
こちらは二次発酵及び熟成室。
ここでは、25℃で1週間半~2週間程度保管される。
醸造所見学の後はティスティングルームで試飲。
全部で9種類のビールをティスティング。
ベルジャン・スタウトなど、とても興味深い銘柄もあった。
ブルーノ氏と一緒に。
ここでいったん終了となったが、この後ブルーノ氏がヴァン・デン・ボッシュの物語にまつわる場所にわざわざ案内してくれることになった。
こういうのが毎回たまらない。
これは醸造所の目の前にある村のステージ。
ここには、「ブファロ」という銘柄にまつわる物語がある。
ブファロ(バッファロー)はこの醸造所で最も古いビールで、1907年から造られている。
物語はこうだ。
かつてビールの仕込には石炭が使われていた。
ちょうど醸造所のある町にバッファロー・ビルのサーカス団が来ていたため、若い従業員はそれを観にいきたくて仕方がなかった。
彼はとうとう我慢できなくなって、たくさんの石炭を釜に放り込んでサーカスを見に行ってしまった。
サーカスに夢中になっていたので、醸造所に戻ることをすっかり忘れていたのだが、思い出して慌てて戻ってみると、釜の底は焦げてしまいカラメル状になっていた。
しかしそのビールを皆で試飲してみたところとても美味しかったので、このビールは、そのときのサーカス団にちなんで”Buffalo”と名づけられ、醸造所の主力の銘柄になった、という話。
次は、「セント・リヴィニュス」という銘柄にまつわる物語の場所へ。
ここは、セント・リーヴェンスカペレ。
聖リヴィニュスは556年に宣教師としてこの村にやってきた。
最後はこの村で首を斬られてしまうのだが、なんと彼は自分の首を手に持って、杖を片手に歩き始めた。
結局隣のシント・リーヴェンス・ホートムまで歩いて、そこで亡くなったそうだが、なんと彼が杖をついた後には泉(井戸)ができた。
村にはその泉の水を飲むと病気が治るという言い伝えがある。
現在でも聖リヴィニュスのカペレ(教会)や泉があり、見学することができる。
ちなみにヴァン・デン・ボッシュではこの泉のものと同じ水を使ってビールを造っているとのこと。
写真は物語に出てくる泉(井戸)。
次のアポイントが12時半だったが早めに終わってしまったので、次の訪問場所であるデ・ライク醸造所のアンさんに電話。
早く行っても良いか訊ねてみると、ちょうど瓶詰め機にトラブルが起こってしまったとのことで残念ながら断られてしまった。
仕方が無いので近くの町、ゾッテゲムのセンターへ。
これが実はかえってラッキーで、またビールにまつわる物語を探訪する時間になった。
インフォメーションで情報収集していると、なんと偶然ここにエグモンにまつわるものがたくさんあることを知った。
センターの中央には、エグモンの像もあったのだ。
ここで偶然にも、ヴァン・デン・ボッシュ醸造所でも1987年から造られている銘柄、「ラモーラル・デグモン」の物語に出会うことになった。
このビールの名前になっているラモーラル(1522-1568)は、ヴァン・デン・ボッシュのある、セント・リーヴェンス・エッセ出身の軍人でエグモン伯とも呼ばれている。
スペイン統治時代に対抗したエグモン伯は、1567年に逮捕され、翌年ブリュッセルのグランプラスで斬首刑に処されてしまう。
エグモンの名前は今でも広く知られており、エグモン宮やエグモン庭園などにも名前が使われているほど。
そのエグモンの墓がこのセンターにある教会の地下にある、というので「ぜひ見せてほしい」と頼むと、なんと鍵を渡してくれ、「どうぞご自由に。」とのこと。
おそるおそる地下に降りてみると、、、鉄格子の中に墓(ミイラ)が。
左側が奥さんで右側がエグモン。
しかしこんなものを勝手に見せてくれるなんて日本では考えられない。
再度インフォメーションに戻ると、今度はここの2階にエグモン伯が斬首刑になった際の首の一部が展示されているという。
さっそくこれも見せてもらった。
写真は、斬首刑になったエグモンの絵。
インフォメーションのおばさんにお礼を言って、今度はすぐそばにあるというエグモンのお城へ。
現在は図書館として利用されているとのことだった。
しかし時間つぶしのつもりが、とても興味深いベルギービールにまつわる物語探訪の時間となって、実に有意義だった。
12時半、今度は予定通りデ・ライク醸造所に到着。
この日はトラブルで本当に大変だったようで、社長のアンさんはめずらしく作業着のまま現れた。
いつものようにミーティングルームで待っていると、アンさんが入ってきてと「今日は紹介したい人がいるの。」と言う。
しばらくして入ってきたのは作業着に長グツ姿だが、長い髪、大きな瞳に笑顔が素敵な若く美しい女性。
なんとその女性は、アンさんの愛娘ミークだった。
ミークは現在言語セラピストとして働いているのだが、母親を見ているうちにだんだん醸造に興味が湧き、たまに手伝ったりしているそうだ。
「お母さんのようにブルーマスターになるの?」と聞いてみると、「それは分からないわ。」とはにかむミーク。
彼女の後姿を見守るアンさんの顔はとても優しかった。
ただでさえ後継者不足に悩む業界だけに、こうした若い人、しかも女性が醸造に興味を持ってくれるのは、私たちベルギービールを愛する者にとって本当にうれしい事。
しかも当主2代にわたって女性ブルーマスターなんて素敵ではないか。
アンは醸造所伝統の味わいを守りながら、新しいチェリービール、クリーク・ファンタスティークを造った。
この先ミークはいったいどんな挑戦をしてくれるのだろうか。
今からとても楽しみだ。
ミーティング終了後、日通に寄ってそのままブリュッセル空港へ。
今回のベルギー訪問も多くの収穫があった。