LEFEBVRE
ルフェーブル醸造所
LEFEBVRE:Chemin du Croly 54、1430 Rebecq-Quenast
http://www.brasserielefebvre.be/en/page/3/home
ルフェーブル醸造所のある町
ルフェーブル醸造所は、ブリュッセルからその南西にあるエノー州の州都モンスに向かうちょうど中間地点の、ワロン・ブラバント州クナストにあります。
かつてこのあたりには、道路の石畳に使う石を掘る巨大な石切場があり、多くの労働者が働いていました。
かつてこのあたりには、道路の石畳に使う石を掘る巨大な石切場があり、多くの労働者が働いていました。
ルフェーブル醸造所の歴史・特長
1876年に、創業者で、農場主、宿屋、麦芽製造業者でもあったジュール・ルフェーブルが醸造所を作り、労働者ののどの渇きを癒すために石切り場の周りにカフェを開いて成功しました。
一方、フローレフ修道院は、1121年にナミュールで設立され、1973年には設立850周年の祝賀行事も行われた由緒ある修道院。
そして1983年、フローレフ修道院が醸造のライセンスをルフェーブル家に託しました。
ルフェーブル醸造所では、もっとも知られた銘柄「フローレフ」のほか、ホワイト・ビール、ハチミツ味、リンゴ味など、さまざまなタイプのビールを醸造しています。
ルフェーブル醸造所は、1916年、第一次世界大戦の影響を受け、醸造器具がドイツ軍によりはく奪され、醸造所の閉鎖を余儀なくされました。
第一次世界大戦後の1921年、2代目オーガスト・ルフェーブルは、毎年起こるセンヌ川の氾濫から逃れるために、村の中心部から隣接する丘に醸造所を移転。
現在の建物は、この当時のもの。
その後、3代目のガストン・ルフェーブルが、それまで樽詰めしかなかった製品を見直し、瓶詰めの生産を開始。
生産量を拡大、醸造所を近代化させました。
また、1975年、マーケティングを専攻した5代目のフィリップ・ルフェーブルが醸造に参加し、1980年には、本格的に輸出も開始。
特に瓶内発酵のビールの輸出において、イタリアなどで大成功を収めました。
そして、2002年、5代目フィリップの息子、ポール・ルフェーブルが醸造に加わり、現在、父親とともにこの醸造所の伝統を守っています。
一方、フローレフ修道院は、1121年にナミュールで設立され、1973年には設立850周年の祝賀行事も行われた由緒ある修道院。
そして1983年、フローレフ修道院が醸造のライセンスをルフェーブル家に託しました。
ルフェーブル醸造所では、もっとも知られた銘柄「フローレフ」のほか、ホワイト・ビール、ハチミツ味、リンゴ味など、さまざまなタイプのビールを醸造しています。
ルフェーブル醸造所は、1916年、第一次世界大戦の影響を受け、醸造器具がドイツ軍によりはく奪され、醸造所の閉鎖を余儀なくされました。
第一次世界大戦後の1921年、2代目オーガスト・ルフェーブルは、毎年起こるセンヌ川の氾濫から逃れるために、村の中心部から隣接する丘に醸造所を移転。
現在の建物は、この当時のもの。
その後、3代目のガストン・ルフェーブルが、それまで樽詰めしかなかった製品を見直し、瓶詰めの生産を開始。
生産量を拡大、醸造所を近代化させました。
また、1975年、マーケティングを専攻した5代目のフィリップ・ルフェーブルが醸造に参加し、1980年には、本格的に輸出も開始。
特に瓶内発酵のビールの輸出において、イタリアなどで大成功を収めました。
そして、2002年、5代目フィリップの息子、ポール・ルフェーブルが醸造に加わり、現在、父親とともにこの醸造所の伝統を守っています。
ルフェーブル醸造所の概要
醸造所名 | LEFEBVRE |
---|---|
住所 | Chemin du Croly 54、1430 Rebecq-Quenast |
公式サイト | http://www.brasserielefebvre.be/en/page/3/home |
地域 | ワロン地域 ワロン・ブラバント州 |
代表銘柄 | ブロンシュ・ド・ブリュッセル、ニュートン |
商品を見る | ルフェーブル醸造所の商品一覧 |
醸造所訪問記
訪問記はありません。