2001.11.03
1日目:3度目のベルギーへ
9月のアメリカでの同時多発テロによって海外渡航者は激減。今回は海外がほぼ初めての大旦那と一緒なだけに悩んだが、ずいぶん前から計画をしていたし、醸造所にアポイントもとってしまっていたので決行する事にした。
名古屋空港より成田へ。8時35分に成田到着。
朝食、両替などしている間に、すぐ出国手続きの時刻になった。
ぎりぎり昨日まで仕事がハードで帰宅が遅かったせいもありとても疲れている。
11時20分、飛行機に乗ったとたんに大旦那と打ち合わせていたジャケットやネクタイ等一式を忘れてきた事に気がついた。ここですでにこれから起こるアクシデントの序曲は始まっていた。
現地時刻の午後2時45分、ロンドン・ヒースロー空港に着陸。空港が混雑しているとのことで30分程度遅れての到着となった。次の飛行機はブリティッシュ・ミッドランド航空にてブリュッセルまで。カウンターで中近東系の乗客数人が揉めている。何を言っているか全く分からないのだが、カウンターの係員ものんびりしている。どんどん時刻は迫ってくるし、さすがにあせった。トイレに行くのが精一杯、大旦那も心配顔。しかし飛行機に乗って離陸の時刻になっても飛行機は動かない。機内のアナウンスも全く分からず、座ったまま待つこと1時間半、午後6時過ぎにようやく離陸した。
現地時刻午後7時45分(イギリスと+1時間の時差がある)にようやくブリュッセル空港到着。本当にやれやれ。まだここから電車で移動しなければならないのだ。パスポート・コントロールを通ってバゲージ・クレームへ。待てども待てども荷物が出てこない。画面を見ていると、「荷物はおしまい」とある。これは困った。大旦那の荷物も出てきていない。これは今までの海外旅行で初めての経験。急いでクレーム・カウンターへ。これまた長い行列。皆、当たり前のように手続きをして部屋を出て行く。おいおい君たちそんなに簡単にあきらめていいのかね、と思いながら私たちの番に。
ひととおり荷物の形状など調べた後、係「明日ホテルに電話しますわ」、私「明日?」、係「そう明日」、私「今日は?」、係「今日はおしまい」で本当におしまい。それ以上何を言ってもムダなようだった。荷物の中にはカメラ、今回の旅の資料、現地ガイドさんの連絡先等がすべて入っていたのだ。
時刻は既に午後10時近く。もうすっかり意気消沈してしまった。しかしまずはホテルへ。国鉄で中央駅へ。ここからは知った道、問題無く到着して前回も宿泊したラディッソンSASへ歩く事10分少々。
しかしここでさらに追い討ちをかける事態発生。ホテルの女性が言うには、ある部屋で水漏れがあり、代わりにあなた方の部屋を提供してしまったので今日は泊まれないという。もう何ヶ月も前から日本で予約しているのに、これには本当に驚いた。代わりにホテルを用意するから移動してくれとのことだがどうしても納得できない。名古屋弁でまくしたてても馬の耳に念仏。仕方なく用意されたタクシーに乗って、代わりのホテルへ。到着してみると今歩いて通ってきたばかりの中央駅前のメリディアンだった。時計を見ると既に午前1時近く。自分も疲れ果てたが、大旦那のことを思うと申し訳ない気持でいっぱいになった。やっぱり英語を勉強しとかないかん。